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【豊前市】空が広く近くにある、天地山公園の中にある「甲神社(かぶとじんじゃ)」へ

豊前市に移住して少し経った頃、子どもたちが遊ぶ公園を探して、立派な遊具がある天地山公園を見つけた。

広い公園の入口にある駐車場に車を停めて、遊具がある方面に向かっていくと、左手に階段があり、そちらには神社があるようだった。

 

後日、広い公園をウォーキングがてら、神社にも行ってみたら、空の広さに驚く。

ちょうどコロナ禍の北九州市からやって来ていたこともあったかと思うが、ほかの移住者の方のSNSで「豊前は空が広い」と投稿されていたから、そう感じるのは自分だけでないのかもしれない。

 

そんな豊前で、ここの空は更に広い。

そして展望台からは広い範囲で遠くの山が見えた。

国東も、宇佐も、たぶん別府方面も。

 

「公園ができる前も、何か特別な場所だったんだろうか」

 

そう思わせる遠くまで見渡せるのびやかな景色が広がる場所に建つ神社。

【豊前市】空が広く近くにある、天地山公園の中にある「甲神社」へ
【豊前市】空が広く近くにある、天地山公園の中にある「甲神社」へ
【豊前市】空が広く近くにある、天地山公園の中にある「甲神社」へ
【豊前市】空が広く近くにある、天地山公園の中にある「甲神社」へ
【豊前市】空が広く近くにある、天地山公園の中にある「甲神社」へ

動画(天地山公園をウォーキング)

天地山公園エリアにもう一つ神社?

Googleストリートビューから画像キャプチャ
Googleストリートビューから画像キャプチャ

以前、築上町方面から合岩方面に向かった時、道路沿い、天地山公園側に木の茂みの向こうに鳥居が見えたような…と思ってGoogleストリートビューを見ていたら、やはり鳥居がありました。

「子どもの森」と書かれた看板の右側です。

天地山公園エリアに別の神社?情報が入ったらまた追加します。

甲神社の由来

甲神社の御祭神は、罔象女神(みつはのめのかみ)(水を司る神)を御祭りして明治二十四年大村の有力者が大村村民と旧来関係のある各村民と出願、官許を頂いて、荒堀山田原に鎮座していた甲神社を、豊前海が一望できる風光明媚な天地山に移転しました。その後、明治三十一年に大村地区内字天神林に鎮座していた、天満神社を同所に移しました。また大正五年には豊前の民話でも語られ「おくら様」の話で有名な、池尾池の馬鞍神社を甲神社に合祀致しました。

毎年四月七日・七月七日・十二月七日に五穀豊穣・家内安全・文武両道の祭典を大村東区氏子、荒堀区氏子が相集い、当日十二時より大富神社の宮司の神事のもとで古式にのっとり執行して居ります。

 

境内には、神殿二社(右 甲神社・左 天満社)・拝殿・神楽殿・明神鳥居二基参道狛犬・注連掛柱常夜五対・手水鉢・石祠碑二基「池尾池守護神、馬鞍神社合祠記念碑」「天地山神徳記念碑」があります。また神社の境内には移転を官庁に出願した有力者、旧村々の庄屋さんや有志の方々の名前が刻まれています。

神社境内には日露戦争の折に使用された大砲の砲弾があったが、第二次世界大戦時に戦場へと徴収されお国の役に立ったとのことです。

 

大村東区氏子

荒堀区氏子

甲神社の御祭神は罔象女神(みつはのめのかみ)。

日本書紀と古事記で伝えられる水の女神です。
「古事記」では弥都波能売神、「日本書紀」では「罔象女神」と表記されています。

この女神は瀬織津姫であると、宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町鞍岡の古社「祇園神社」が伝えています

これについては別の記事「高龗神と闇龗神は一対の龍女神、市杵島姫命と瀬織津姫(ミズハノメノカミ)。宮崎県の古社の伝承」で詳しくお伝えしています。

甲神社の場所

〒828-0066 福岡県豊前市大村

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