「豊のくにあと」を運営し、日本の神社や歴史の謎を追う旅を続けていて、この道のりが面白いのは、「神と神社に注目すると、文献や考古学だけでは見えないものが見えてくる」という、静岡理工科大学の矢田浩名誉教授の言葉を実感できるからかもしれません。
神社を訪れるたびに、思わぬ情報に巡り合うことがよくあります。
宇佐市の高家神社では福岡県宗像地方との古い関わりが、乙咩神社(おとめじんじゃ)では、かつて「乙比咩神社(おとひめじんじゃ)」と呼ばれていたことが伝わっていました。
まるで、歴史のヒントが、あちこちに隠されているかのよう。
一つずつ紐解いていくのが、何よりの楽しみです。
そんな中、今回、この「神と神社」の重要性を改めて教えてくれたのが、宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町にある鞍岡(くらおか)の祇園神社の公式ホームページでした。
そこに記されていた伝承は、私たちが長年追い求めていた高龗神(たかおかみのかみ)と闇龗神(くらおかみのかみ)の正体に関する、ある一つの可能性を示唆してくれたように感じられたのです。
宮崎・鞍岡の祇園神社に見る、興味深い情報
鞍岡の祇園神社の始まりは、西暦525年頃と大変古いそう。
かつて疫病が流行したこの地の中心に、「疫病や厄災から人々を守る神様」として祀られたのが始まりだそうです。
そんな歴史ある祇園神社の摂社「古我牟礼神社(こがむれじんじゃ)」には、なんと闇龗神が、「冠八面大明神(かむれやつおもてだいみょうじん)」として祀られているというんですから、驚きですよね。
「冠八面大明神」という名はあまり聞き慣れませんが、「八面」という言葉は、私たち「豊のくにあと」でも以前ご紹介した豊後高田市の「八面宮」や、中津市のシンボルである八面山を思い出させます。
八面山には宇佐神宮の祖宮といわれる「薦神社」の奥宮「箭山神社」もあるんです。このあたりに何か繋がりがあるのかどうか、気になるところです。
祇園神社のホームページによると、平安時代の文徳天皇の時代(857年)に、この「冠八面大明神(闇龗神)」が、とても高い位の神階を授けられたそうです。
さらに、そのわずか12年後(869年)には、京都の八坂神社から素戔嗚大神(スサノオノオオカミ)を招いて祀り、社名も八坂神社に改称したとか。
元々は「曽男神(そおじん)」(スサノオノミコトと同一神とされる)を祀っていたのに、改めてスサノオを勧請しなければならないほど、当時の疫病はひどかったことが推察されます。
つまり、この祇園神社の元々の御祭神は、「牛頭曽男神」(スサノオ?)と「冠八面大明神(闇龗神)」だった可能性があるようです。
文徳実録によりますと、第五十五代文徳天皇の天安元年(857年)に曽男神に正五位並びに冠八面大明神(闇龗神)に正五位下の神階奉授とされています。正五位は非常に高い位になりますが、この当時は、知保郷圏域ほか近隣には祇園社しか神階奉授がなかったようです。
当祇園神社は貞観11年(869年)に京都の八坂神社から素戔嗚大神を勧請しています。
「曽男神」を祀っていた祇園社に「素戔嗚大神」を勧請し八坂神社と改称したものですが、改めて同一神である素戔嗚大神を勧請しなければならないほど貞観11年の疫病は猛威をふるったものと推察されます。
祇園神社公式ホームページから引用
「鞍岡」の地名に秘められた「闇龗神」の物語
当神社が鎮座まします「鞍岡(くらおか)」の地名は、元久2年(1205年)に源平合戦で敗れた那須大八郎が当神社に参拝し、椎葉山に入るに乗馬で入ること困難にして乗鞍を置いたことから「鞍置き村」が「鞍岡」になったという、五ヶ瀬町の昭和の郷土史家が発表した説が通説として一般的になっていますが、実は那須大八郎より320年以上前の天慶7年(877年)に高千穂太郎が高千穂に入って三田井氏を嗣いだ際に「高千穂庄くらおか」の部落名が既に存在していたことが記録に残っています。
当神社の伝承によると鞍岡の地名の由来は「クラオカミノカミ」が鎮座する村として広く知れ渡っていたことから「クラオカミノカミの村」が「くらおか村」の名前になったとあります。
神社の文献が焼失していますので確認することはできませんが、当神社ではそのように受け継いできているところです。
祇園神社公式ホームページから引用
祇園神社の伝承には、地名に関するさらに興味深い話も記されていました。「鞍岡」という地名。
一般的には、源平合戦で敗れた那須大八郎が馬の鞍を置いたことに由来すると言われていますよね。
でも、祇園神社の伝承では、なんと「闇龗神が鎮座する村として広く知れ渡っていたことから『クラオカミノカミの村』が『くらおか村』になった」と伝えられているんです。
この伝承を聞くと、「冠八面大明神」として祀られていた闇龗神が、この地でどれほど強い信仰を集めていたか、その深さが伝わってきます。
さらに、祇園神社の南西にある「冠岳(かんむりだけ)」という、フタコブラクダのような形をした山には、あのヤマタノオロチが7巻半していたという伝説が残っているとか。
そのオロチの魂を鎮めるために、「冠八面大明神」として闇龗神がお祀りされたそうですよ。
高龗神と闇龗神は「一対の女神」…それとも「雌雄の龍神」?
そして、祇園神社の公式サイトには、さらに気になる記述がありました。
この闇龗神(クラオカミノカミ)は高龗神(タカオカミノカミ)と一対の女神様です。
龗(オカミ)とは龍神・水神を指します。
高龗神(タカオカミノカミ)は山の頂からお守りされている神様、闇龗神(クラオカミノカミ)は谷や瀬をお守りされている神様です。
高龗神が白龍、闇龗神が黒龍とも言われています。
高龗神(タカオカミノカミ)は宗像三女神のイチキシマヒメと同一神であり、瀬織津姫と同一神あるとする説があり、闇龗神(クラオカミノカミ)は瀬織津姫と同一神であるとする説があります。
当神社の境内社である妙見神社は「ミズハノメノカミ」をお祀りしていますが、瀬織津姫と同一神ですので、当神社は龍神様・水神様を複数柱お祀りしている神社ということになります。
祇園神社公式ホームページから引用
この情報を整理してみると、
- 高龗神・闇龗神は一対の龍神・水神であり「女神」である、という考え方。
- 高龗神(白龍・山頂を守る神)は、宗像三女神の一柱である市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、または**瀬織津姫(せおりつひめ)**と同一神とされる説があること。
- 闇龗神(黒龍・谷や瀬を守る神)は、瀬織津姫と同一神とされること。
- そして、この祇園神社の境内社「妙見神社」で祀られている「ミズハノメノカミ」も、瀬織津姫と同一神であるという点。
しかし、この情報をさらに調べていくと、「高龗神と闇龗神は一対の女神」という記述とは異なり、それぞれが雌雄で一対の龍神であるという情報も見つけました。
古くから日本で「一対」といえば、多くの場合、男性と女性を指すのが一般的です。
陰と陽、男性と女性、黒と白、月と太陽…。
もし、高龗神と闇龗神が雌雄一対であるなら、それはどのような意味を持つのかもしれません。
後日追記。貴船神社の御祭神について
国東半島で偶然出会った、奈多八幡宮の元宮司さんが出版されていた本に書かれていた、中津市の闇無浜神社の本当の御祭神の情報。そこから様々な疑問がほどけることになりました。
以下の記事で詳しくお伝えしています。
