史跡巡りをしながらの謎解き旅をしていくうちに行き当たる「土蜘蛛」の存在。
「土蜘蛛」は大和朝廷に従わなかった人たちへの蔑称と言われている。
実は、日本最古の歴史書とされる『古事記』や『日本書紀』に、土蜘蛛と呼ばれた不運な民のことが記されているのだ。ヤマト王権の黎明期の動向を記したとされる「神武天皇紀」や「景行天皇紀」「神功皇后紀」などに、その名が頻繁に登場する。天孫族(てんそんぞく)なる王権の支配者たちが各地を制覇するにあたって、まつろわぬ土族ばかりか、山中の窟などにひっそりと住まう民までこう呼び捨て、無慈悲な殺戮(さつりく)を繰り返したのである。
大和国の高尾張邑(たかおわりむら・奈良県葛城市)をはじめ、碩田国(おおきたのくに・大分県)の鼠の石窟、直入県の禰疑野(ねぎの・大分県竹田市)、高来県の玉杵名邑(たまきなむら・熊本県玉名郡)等々、枚挙にいとまがないほど、その居処が記されている。いずれの民も、王権に従わなければ有無を言わさず殺されたわけだから、襲われた方としては、恨んでも恨みきれない思いがあったはずである。
歴史人 から引用
「土蜘蛛」と呼ばれた人たちについて、この北部九州エリアにも情報が残っている。
以前記事にも書いていた、北九州市の小倉南区の朽網(くさみ)にある帝踏石(たいとうせき)がそうだ。
それにソースがどこだったかまた調べ直さないといけないけど、豊後高田市夷(えびす)、それに英彦山にも土蜘蛛の話が残っていたように記憶している。
そのあたりもいずれ分かっていることが知りたい、書いていきたいと思っている。