移住した豊前市と同じく、宇佐市も細長い市だ。
海と山があり、古墳も沢山あるので、きっと古代から豊かな土地だったのではないだろうか。
そんな宇佐市の海側にある高倉古墳、それに古墳の上に建つ高倉神社へと先日行くことができた。
前から行きたかったので、GoogleMapなどで調べていたから、難なく古墳下の駐車スペースに車を停められた。
古墳と神社の方を見たら、階段横にお地蔵様がいた。
神仏習合の名残かと思ったら、敷地内の由緒書きを見たら、この場所は「高倉山海龍寺」というお寺でもあったようだ。
八坂神社
祭神 素盞嗚男尊(スサノオノミコト)(鍛冶之神)
高倉社(旧名)
祭神 武位起命(タケクライオキノミコト)(内海交通之神)
県指定文化財高倉(舟山)古墳の原型
五世紀県下最大級の前方後円前紀柄鏡式古墳
全長 160メートル
前方部 幅46メートル長さ56メートル
後円部 周経320メートル 直径104メートル
高さ 二段式 10メートル
周溝墓 約20メートル
構造 箱式石棺(安山岩)
東の東区平成29年5月
高倉社由緒
古代高倉社は瀬戸内の海を統率した神を祀る高所として崇められ畏れられていた瀬戸内を航行する海人達は海上航行をこの神に祈り許されてその安全の守護として久しく信仰されていたが中世となり神佛習合の制に従い真言密教の高倉山海龍寺と変容して内包され総称高倉明神としての信仰を得ていたが明治の神佛分離令により解体され行橋市今井の祇園社より神霊分興を受け、ここに八坂神社と改められ今日に及ぶ
東の東区平成29年5月
境内に置かれた看板から、「瀬戸内の海を統率した神を祀る高所として崇められ畏れられていた」とある。
五世紀県下最大級の古墳であることから、とても力を持った首長が埋葬されていたということが見てとれる。
高倉古墳の上に建つ神社からは海が見え、海上からもよく見えていたのだろう。
古墳と神社入口の小屋には時代を感じる石や木でできた仏像が安置されていた。
神佛分離令で寺はなくなっていても、仏像は守られていたのかもしれない。
神社はとても綺麗に掃除されていて、今でもこの地域の人たちが大切にしていることが感じられた。
高倉古墳は前方後円墳?
松尾則男著「おおいたの古墳と神社」の冒頭に、大分大学名誉教授・神戸輝夫氏の推薦として「古墳と神社の関係を明らかにして、神社に祀られる神とは本来何者であったかを考えようとしている」という言葉があった。
教授にも認められ、ぜひ続編をと締めくくられた書籍に記述された、高倉古墳についての松尾氏の見解は「前方後円墳」であり「九州で最大規模」であった。
詳しくは書籍「おおいたの古墳と神社」でご覧いただきたい…が、もう販売されていないのではないか。(自分は古本で購入)
現地での調査を積み重ねられた貴重な記録を著者に承諾いただけるのなら、全文記述したいところだが。
以下概要。詳細は書籍をご覧いただきたい。
高倉古墳とは
高倉古墳は大分県宇佐市長洲にある古墳で、直径約30メートルの円墳とされてきたが、実際には全長160メートルの前方後円墳である可能性が高い。墳丘上には八坂神社があり、過去には漢式鏡や鉄剣が出土したと伝えられる。
歴史的調査と議論
昭和初期の記録では、前方後円墳としての記述が多く、小野精一氏の調査では宮崎の葺不合尊陵墓と酷似しているとされた。一方で、現代の宇佐市教育委員会は円墳である可能性を示唆しつつも、大型古墳としての可能性を認めている。
調査結果
現地調査では、墳丘の形状や規模が前方後円墳であることを支持する結果が得られた。南側から遠望するとその輪郭が明瞭で、神社周囲の測定値も一致することが確認された。
松尾氏の要望
高倉古墳の歴史的重要性を踏まえ、科学的な調査による詳細な解明を求めていた。
高倉神社・高倉古墳の動画
高倉神社・高倉古墳の場所
大分県宇佐市大字長洲