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山の中に残る「海」の痕跡――国東半島と宇佐の不思議

神社や仏閣を巡る中で、不思議なことに気がつきました。

それは、海から遠く離れた山の中に「海の痕跡」が残っていることです。

 

大分県豊後高田市 天念寺の伽藍を構成する六所権現社(明治時代に「身濯神社」に変更)の本殿
大分県豊後高田市 天念寺の伽藍を構成する六所権現社(明治時代に「身濯神社」に変更)の本殿

 

例えば、大分県豊後高田市の天念寺にある「身濯(みそそぎ)神社」

ここには、海の波を表す「青海波(せいがいは)」の文様が描かれています。

 

豊後高田市 馬城山頂上付近 金毘羅社
豊後高田市 馬城山頂上付近 金毘羅社
豊後高田市 馬城山頂上付近の金毘羅社が向かう方角には巨大な耶馬
豊後高田市 馬城山頂上付近の金毘羅社の鳥居の先には巨大な耶馬

 

また、同じく豊後高田市の馬城山の頂上には、「海の神様」としてよく知られる金毘羅社が祀られています。

金毘羅社が向かう方角には、巨大な耶馬(岩山)があるのですが、地図を見てもネットで調べても情報が出てきません。

しかしこの馬城山の麓には、かつて六郷満山の最大の寺院である「馬城山伝乗寺」があったと伝えられています。

 

 

さらに、宇佐市の安心院町には「海神社(かいじんじゃ)」があります。

ここは山に囲まれた盆地なのに、「海」の名を持つ神社なのです。

 

なぜ、海と無関係に見える場所に、海に関連する痕跡が残っているのでしょうか?

 

ひとつの手がかりとして、この地域に伝わる神々のつながりがあります。

 

大分県の国東半島に広がる六郷満山(ろくごうまんざん)の寺院群を開いたのは、仁聞(にんもん)菩薩とされています。

そして、仁聞菩薩は「宇佐八幡宮の化身」でもあると伝えられています。

 

また、同じく大分県の宇佐市安心院町の海神社には豊玉姫命(とよたまひめ)が祀られています。

豊玉姫は、海の神ワタツミの娘であり、竜宮城の乙姫としても知られる存在です。

宇佐八幡宮の元々の御祭神は、豊玉姫であると訴える論文もあります。

 

もしかすると、これらのことは「かつて海と深い関係があった何か」を示しているのではないでしょうか?

 

宇佐市 乙咩神社
宇佐市 乙咩神社

 

さらに気になるのが、宇佐市の乙咩(おとめ)神社です。

乙咩神社は、古代の宇佐の有力者が埋葬された古墳の上に立つ神社です。

この神社は、明治時代以前には「おとひめ神社」と呼ばれていた可能性があります。

もしそうなら、「乙姫」の名が消されてしまったことになります。

 

(辛島乙目が由来である可能性もありますが、それならば「おとひめ」を消す必要はない?)

 

明治時代の変革、そして古代の神々の信仰――。

私が巡っている、旧豊の国といわれるエリアで見る「山の中の海の痕跡」は、まだまだ解明されていない謎に包まれています。

 

歴史の専門家ではない自分が謎を解くことができなくても、謎を解くヒントを得ることはできるのではないかと思い、多くの場所に出向いています。

自分が無理だとしても、いつか誰かが、この謎を解いてくれたらよいと。