日本の歴史を動かした一大勢力、藤原氏。
その源流である中臣氏(なかとみうじ)が、現在の福岡県東部を含む古代の豊前国に接点を持っていた、なんてことはあるのだろうか。
そんな考えが浮かんだのは、旧豊前をを古くから治めていた一族「宇都宮氏」について調べていたからかもしれません。
仲津郡に残る「中臣村」の記述
現在の福岡県行橋市東部から、京都郡(みやこぐん)豊津町・犀川町あたりに相当する古代の豊前国には、仲津郡(なかつぐん)が存在していたそうです。
この仲津郡には、藤原氏の源流である中臣氏と関連する、興味深い記述が残されていました。
その内容は、「豊後国風土記」には、豊国の祖である菟名手(うなで)が仲津郡の「中臣村」に至った際に祥瑞が現れたと記されていたこと。
現在の中津市(古代の下毛郡)と仲津郡は地理的には異なりますが、この郡内に「中臣村」という地名があったという事実は、中臣氏がいたんじゃないだろうか。
シンプルにそう考えました。
仲津郡の豪族と渡来系文化の接点
当時の仲津郡には、秦部(はたべ)氏や膳(かしわで)氏など、地方の有力な豪族がいたそうです。(「大宝二年(702)の戸籍」など)。
また、仲津郡(現豊津町)にある7世紀末建立の上坂廃寺からは、百済系の瓦が出土しています。
これは、この地域が古代から渡来人との交流が盛んであったことを示していたのだと想像します。
以前、歴史に詳しいからこの旧豊前エリアは、古代においては時代の最先端であったと耳にしたことがあります。
渡来人が一番最初にやってきて、瀬戸内海という道を通って大和につながる場所であると。
そんな場所に、中臣氏もいた可能性があるのか。
調べてみると、九州に中臣氏の痕跡や、藤原氏がやってきたという痕跡も複数得られました。
また何か分かれば追加していきたいと思います。
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