歴史の教科書に出てくる古代最大といわれる内乱「磐井の乱」。
教科書ではまるで悪者のように書かれていたと、昭和50年代生まれの自分は記憶していますが、大人になってからそれは誤った認識であることを知りました。
筑紫の国造(くにのみやつこ)磐井が、新羅と結んで大和朝廷に反乱を起こしたとされますが、実は磐井は武力的な衝突ではなく平和的な交渉をのぞんでいたそうです。
しかし大陸との重要な拠点である九州を手に入れたい大和朝廷が圧力をかけ、九州勢を新羅に攻め込ませようとしました。
しかし九州の地を大切にし、同胞を大切にし、古くからの交易相手である新羅との戦いを避けようとする磐井と、強硬派の大和朝廷側との戦いであったというのが事実のようです。
教科書で習った内容と真逆だったことに驚きました。
これからの時代、調査が進んだらこんなことが当たり前のように起こっていくのかもしれませんね。
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