
本州で育ち、豊前市に移住して以来、史跡巡りを楽しんできた私。
その中で、初めて訪れた「下川底の白山神社」は、特に印象に残る場所でした。
境内には、まるで生き物のようにうねる巨大なクスノキがそびえ立ち、その根の張り方に圧倒されました。
そんな白山神社には、もう一つ驚くべき歴史がありました。
宇佐神宮の二之御殿造営に関わる神事が、かつてこの白山神社の大クスの下で行われていたというのです。
さらに、宇佐神宮最大の祭礼行事の一つとされる「行幸会」の神事も、この地で執り行われていたそうです。
ここで、私は一つの違和感を覚えました。
白山神社といえば、全国に約三千社あり、その総本宮は石川県の「白山比咩神社」です。
その主祭神である「白山比咩大神(=菊理媛尊)」は、「括る(くくる)」という意味を持ち、現在では「和合の神」「縁結びの神」として信仰されています。
しかし、宇佐神宮との関係は、御祭神の系譜からは見えてきません。
それでは、豊前の白山神社はどのような存在なのでしょうか?

ここで思い出したのが、豊前を代表する山「求菩提山」です。
この山の頂上からは、古代祭祀の跡が発見されています。
さらに、その山頂に鎮座する「国玉神社上宮」には、かつて「白山権現」が祀られていたという記録が残っています。
宇佐八幡宮の研究者・中野幡能氏によれば、北部九州にある白山権現は、一般的に知られる加賀白山権現ではなく、朝鮮の「太白山・小白山信仰」の影響を受けている可能性が高いとのこと。
とはいえ、確実なことはまだ分かっていません。
加えて、豊前の白山神社の境内にある案内板には「全国2700の白山神社の一つ」と記されているものの、肝心の御祭神については一切触れられていません。
なぜ、宇佐神宮にとって重要な神事が行われていた白山神社の御祭神が、不明のままなのでしょうか?
そして豊前の白山神社だけでなく、宇佐神宮の奥宮である大元神社がある御許山にも白山神社がありました。
宇佐神宮と白山神社に何か関連があるのか?
そこにも、まだ解かれていない歴史の謎が眠っているようです。