宇佐神宮と違う向きの三つ巴紋「右三つ巴紋」を国東半島の北端で見つけて以来、なぜ向きが違う三つ巴紋があるのかと調べています。


福岡県春日市小倉 「住吉神社」のGoogleMapの画像で右三つ巴紋を確認
福岡県春日市小倉 「住吉神社」でも右三つ巴紋が見つかりました。
福岡県神社誌で確認
春日市(旧筑紫郡春日村)に鎮座する、白水八幡宮の基本データです。
所在地 筑紫郡春日村大字小倉字村中(現・福岡県春日市小倉)
御祭神
住吉三神: 表筒男命(うわつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつつのおのみこと)、底筒男命(そこつつのおのみこと)
合祀神: 高龗神(たかおかみのかみ)
由緒 不詳。明治5年11月3日に村社に定められる。
合祀の記録 祭神の「高龗神」は、もともと同大字の字トヲソノに「無格社 八龍神社」として祭祀されていたが、明治44年12月22日に合併許可を受け、当神社に合祀された。
例祭日 9月9日
主な建造物 神殿、幣殿、拝殿
境内坪数 474坪
氏子区域および戸数 小倉(130戸)
白水八幡宮は近くに弥生時代から江戸時代まで続く複合遺跡「中白水遺跡」のすぐそばにあり、かつ遺跡のエリアには、京都の石清水八幡宮の荘園もあったそうです。
そして白水八幡宮はその荘園の管理をしていたと。
京都の石清水八幡宮と福岡県春日市はかなり距離がありますし、距離でいえば宇佐神宮のほうが近いから、宇佐神宮の荘園であるほうが自然だと、素人考えでは思いました。
気になる点です。
メモ① 住吉神社 由緒書き
GoogleMapの投稿画像で確認。
祭神
表筒男命
中筒男命
底筒男命
由緒不詳なるも往昔此の地住吉神社の神領なりし故其に依り勧請せしものなりと云わる
例祭十月十七日
特殊行事嫁詣一月十四日
相殿に八龍明神を奉斎する
祭神 高龗神
平成二十五年一月吉日
春日市小倉住吉神社氏子総代會
八龍明神は「八大龍王」の略称ともいわれるようです。
メモ① 特殊行事「嫁詣」とは
小倉地区の中ほどに、こんもりとした鎮守の森に囲まれてたたずむ住吉宮がある。ここにはいくつかの奇妙な祭礼が残っている。なかでも「嫁ごの尻たたき」は、他に例を見ない行事でまさに奇習と呼ぶにふさわしい祭りである。
前年中に同区に嫁いできた花嫁が、盛装して住吉宮に参拝にくるのを、待ち受けていた子どもたちが、ワラを巻いた棒で花嫁の尻をたたくという実に風変わりな習俗。嫁が家に居着くようにとか、子宝に恵まれるようにとの願いを込めているといった解釈がある。それが済むと、左義長に点火する。
春日市ウェブサイトから引用
「嫁ごの尻たたき」とは珍しいまつりですね。
余談ですが、「尻」つながりで北九州市にも変わった祭があります。
㉚尻ふり祭
井手浦の里で、毎年一月八日に行われている珍しい祭で、三奇祭の一つである。
地域の老若男女総出で、当番に当たった座元家の、庭先きに集まって、その年の豊作を祈り、春の農作業を始める一月八日に行うのである。
昔、平尾台にいた大蛇が、悪戯をするので、神様がこれを退治した時、切り落された尻っぽが、井手浦に落ちてピンピン尾を振ったという。そしてその年は十数年振りの大豊作だった。これが尻振り祭の起りとなったのである。
祭は座元の庭先きに、藁で作った長さ四メートル程の大蛇を、小松を二本立てたものに高さ三メートル程の処に取り付け、下に祭壇を設け、それに神酒やお供え物をして行うのである。
祭壇の前に神官、当番の座元、翌年の座元が居並び、一同がそれを囲んで祭事が行われる。
先づ神官の祝詞に始まり、三人の祈願がある。ここがクライマックスで、三人は弓をつき矢をかがめたお尻に当てがって、大きく振ると、そばから大きな囃立てる大声もとぶのである。その後神官は、大蛇に三本の矢で射止め、太刀で斬る仕草をして退治する。
終わると子等は一斉に、大蛇に隠してある干柿や橙等を奪って取り合う。 (沢村)
北九州の史跡探訪ー北九州史跡同好会 p.88から引用
春日市と北九州市にも「小倉」。
こちらも不思議と一致します。
小倉といえば、松尾則男氏著「おおいたの古墳と神社」を読んだときに興味深い記述がありました。
「神社明細帳」で、「加久羅」という聞き慣れない言葉に 接した私は、これは「こうくらい」の当て字ではないか と直感しました。
これを裏付けるように、先輩の今村勲氏は、「望郷の碑」 の中で、田村圓澄(九大名誉教授)、上田正昭(京大教授)、 森浩一(同志社大学教授)、金達寿(作家)らの著書を典 拠資料として、小倉=コクラについてのナゾ解きが得られ たとして次のように書いています。コクラとは、もともとコウクリ(高句麗)のことで、このコウクリから転訛した呼び名であることがわかったのです。高句麗は朝鮮語でコクレというそうです。つまり、コウクリすなわちコクレがコクラとなって「小倉」の字をあてたということでした。 加倉(カクラ)も高倉(コウクラ)も加久羅(カクラ)も、みなコクラから出た呼び名だということで す。これで胸のつかえが取り除かれるように疑問がとけた気がしてきました。 「小倉」地名のあるところ、古代朝鮮とのかかわりのある古い神社遺跡が多いわけがぼんやりとわかりかけたように思いました。
全国どこでも、地名に古代朝鮮人の足跡があるとは人 から聞き、本を読む中で知ってはいましたが、まさか、 このように具体的な例があるとは思いもよりませんでし た。
松尾則男氏著「おおいたの古墳と神社」 p.30から引用

メモ② 嫁詣と同じ時期に近くの春日神社でも奇祭「婿押し祭り」
「春日の婿押し」とは、福岡県春日市で毎年1月、前年に結婚した新郎新婦を祝福する国指定の重要無形民俗文化財で、「若水祭」とも呼ばれ、氏子(特に45歳以下の男性組織「三期組合」)が中心となり、神池での「樽せり」や「お汐井取り」、拝殿での「婿揉み(おしくらまんじゅう)」などの勇壮な儀式を通じて、五穀豊穣と開運を祈願するお祭りです。
↓出典:春日市公式チャンネル
〒816-0814 福岡県春日市春日1丁目110
メモ③ 神社がある春日市の由来
春日の地名は春日神社に由来します。「筑前国続風土記」の「春日神社」の項には、「春日村にあり。村の名前も此神社あるによりて名つけたり」と書かれています。
社記によれば、39代天智天皇が、斉明天皇の皇太子として長津の宮にあるとき、この地に天児屋根命(あめのこやねのみこと)のヒモロギ(神が宿るところ)をおかれたのが始まりとされています。そして768年、大宰府の藤原氏が、天児屋根命を祭る大和(現在の奈良県)の春日大名神を、このヒモロギの地に迎えたのが、今日の春日神社の創建とされています。
春日市ウェブサイトから引用
「39代天智天皇が、斉明天皇の皇太子として長津の宮にあるとき、この地に天児屋根命(あめのこやねのみこと)のヒモロギ(神が宿るところ)をおかれたのが始まり」とあるように、春日神社ができる前に「ヒモロギ」がまず先。
その後に大和から春日大明神が勧請されたようです。
福岡県春日市小倉 住吉神社の場所
〒816-0824 福岡県春日市小倉3丁目
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