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【豊後高田市】 雷鬼(いかずちおに)の岩屋古墳・海神社へ

豊後高田市にある「雷鬼の岩屋古墳」へ行くことにしたのは、以前訪れた宇佐市の乙咩(おとめ)神社がきっかけだ。

 

「乙咩」とは変わった字である。

神社の由来書によれば、かつてこの場所は「おとひめ神社」と呼ばれていたようだった。

「おとひめ」から「おとめ」へ。

「おとひめ」が消されたのか。

 

神社の由来書で気になったのは、「雷」が付く御祭神。

賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)。

 

賀茂といえば京都にある賀茂系の神社が有名。

乙咩神社は宇佐の古い神社だから、違和感を覚えた。

なんたって古墳がある。

 

 

このエリアには、賀茂別雷命との関係があるのだろうか。

雷といえば、宇佐神宮の紋章の左三つ巴紋、自分が探している右三つ巴紋に使われている巴が意味しているとも聞いたことがある。

そして「雷」がついた古墳や神社にも行った。

行橋市の「八雷古墳」と「八雷神社」だ。

 

 

行橋市内最大の前方後円墳なのに調査が入っていないという謎の古墳だった。

賀茂別雷命の雷、八雷古墳の雷。

そして「雷」とつく古墳が豊後高田市にもあった。

それが「雷鬼の岩屋古墳」だ。

気になって調べてみたら、雷鬼の岩屋古墳の近くには「海神社」があった。

それも気になる。

 

 

自分が追っている右三つ巴紋には海が関わっているようで、山の中なのに「海」を意味する名前であったり、波の模様のようなグラフィックを残す史跡がある。

雷と海、ずっと気になっていたので行ってみた。

 

ネットで調べていたとおり、雷鬼の岩屋古墳には車1台がゆったり停めるほどのスペースがあって安心した。(↑写真右側)

雷鬼の岩屋古墳(豊後高田市指定史跡)

指定年月日 昭和四十八年七月一日

時代 古墳時代後期

 

雷地区から払田地区にかけての丘陵上には、横穴式石室を持つ古墳が点在しています。

その中でも雷鬼の岩屋古墳は、市内に現存する最大規模の複室構造の横穴式石室を持つ古墳です。石室は羨道部の一部が消失していますが、内部そのものは良好に残っています。

石室の全長は七・三m、玄室(奥室)の奥行は二・八m、幅二・四m、天井高二・四mです。

古墳時代後期(六世紀後半)に築かれた、この地域の有力者の墓と考えられます。

 

豊後高田市教育委員会

看板より

地区名が「雷」というのが珍しい。

この地域の有力者と「雷」は関係があるのだろうか。

古墳を見てみると、頂上に首がない仏像が…怖くないと言えば嘘になる。

それでも重要な歴史の跡だ、階段がわりのブロックがあるので後で登らせてもらおう。

進入禁止の看板もないようだし。

古墳には色々と目に付くものがあった。

土のうだろうか、黒いビニールの袋。

大木の跡にはキノコが目立っていた。

畑側から回ってみると入口を発見。

どうやら古墳の中に入れるようだけど…怖いのでやめておく。

入れる人、すごいな。

古墳手前の土には磁器のかけら。

 

気になる古墳の頂上。

途中までブロックに足をのせて登ってみると、傾斜がかなり急だ。

カメラを持ちながらだと危ないかも。スマホに持ち替えて頂上へと。

右手に桃のような形をした宝珠を持った仏像、それにお寺で見るような宝珠が残っていた。

明治時代の廃仏毀釈時代の名残だろう。

廃仏毀釈の前までは、日本では神仏習合の時代が長く続き、神と仏は同じ存在だったようだ。

仏像が何の仏像が分かればヒントになったのかもしれないのにな。

車を古墳の空きスペースに置いたまま、近くの海神社にも行ってみることにした。

道すがら、頑丈な犬舎に入っていた大きな犬二頭に「ワフ、ワフ!」と軽く吠えられる。

「見慣れないやつだ、でも弱そう。一応吠えとくか」程度の様子。

お仕事お疲れさまです、と心の中でつぶやきながら進むと、鳥居が見えた。

うん、「海神社」とはっきり刻まれている。

境内の木は大きなものもあるが、想像していたより新しい様子の神社だ。

鳥居をくぐり、奥へ進むと大きな狛犬。

背後の拝殿に比べたら大きい。

古くはなさそうな拝殿に本殿の横には石祠。

こちらは何も書かれていないが、鏡餅が置かれていた。

何かないだろうかと逆サイドにまわってみた。

こちらは何やら色々ある。

こちらの石祠には「金毘羅宮」とはっきり刻まれている。

海神社の境内社が「金毘羅宮(こんぴらぐう)」。

金毘羅宮の御祭神は大物主神を祀っている。

では海神社の御祭神とは誰なのだろう。

 

神社の御祭神は「氏神・勧請・人神」の三系統があると言われている。

氏神とはざっくりいえば、氏族のご先祖さま。

たとえば大神氏の氏神大物主神、賀茂氏の氏神賀茂別雷神がそれにあたる。

 

勧請は氏神を分割できるとして、遠くの地に祀ったもの。

宇佐神宮の八幡神が全国に広がっているのはこれにあたる。

 

人神は祟りを鎮めるために祀られた神。(祟り神、例えば陥れられ非業の死を遂げた菅原道真公)

金毘羅宮の石祠の近くには石やほかに古そうな瓦を見つけた。

菊だ。

花びらが16枚ある…ということは、パスポートの表紙にも描かれている天皇家のシンボルの菊花紋?

海神社の御祭神は、天皇家と関わりが?

また謎なのか、ヒントなのか、現れた。

謎の続き、ヒントを追って、これまで豊前市、中津市、宇佐市、豊後高田市、国東市、行橋市、みやこ町などを巡ってきた。

右三つ巴紋、山の中の海。

そして雷、天皇家。

書けていないけど、気になる「風」。

まだ理解が進まず書けていない辛島氏、秦氏。

平家や土蜘蛛についてもまだまだ。

 

アウトプットしていくには断片的で、中途半端であることは自覚しながらも発信していたら、情報をいただくことも出てきた。

 

「もっとこの謎を知ってほしい」という方もいる。自分もそうだ。

 

しかしこの謎を伝えることを、誰かに伝えることは、とても難しいと感じている。

様々な要素が絡まりすぎて、何から伝えれば、謎を知らない、でもこれから知りたい人にも伝わるんだろう。

自分自身でも理解できないことは多いし、これまで巡ってきた史跡についても、見落としがあるんじゃないかと思う。

今最初に戻れば、その時には見えなかったものが見えるのかもしれないし、謎について伝えたいなら一緒に巡るようなつもりで記事を見てもらったほうが早い。

 

もう一度、歴史の謎に気がついた場所から記憶を辿ってみようと思う。

関連記事

↑海神社の後、雷鬼の岩屋古墳に戻る途中で見つけた阿弥陀堂

 

雷鬼の岩屋神社の場所

〒879-0604 大分県豊後高田市美和239

海神社の場所

〒879-0604 大分県豊後高田市

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