「なぜ宇佐神宮とは逆向きの巴紋(右三つ巴紋)があるんでしょうか?」
私がこれまで巡ってきた北部九州の神社のなかに、宇佐神宮とは逆向きの巴紋があることに気づき、自分で調べてもはっきりしたことは分からなかったので、歴史の専門家に尋ねたことはあります。
しかし答えは得られませんでした。
というより、「考えたこともありません」「へー、そうなんですね」と、あまり重要と思われない方が多かったように思います。
しかし右三つ巴紋がある神社が複数存在すること、筑後エリアの正八幡宮も右三つ巴紋であることから、何らかの関わりがあるのではないかと、疑問が消せません。
歴史の専門家が気にならないのだとしても、答えがはっきりしないのでずっと気になって仕方がないのです。


専門家からの返答が「考えたことがない」なので、どうもスッキリしない。
古代史は文書が残っていない時代だから、証明に限界があり、既に調べ尽くされている。だからこれ以上調べても仕方がない__そんなふうに仰る方もいました。
でも私にかけられた言葉のうち「そもそもあそこに水が湧き出たら水の神様、川が近いところには川の神様、昔の人の認識はそんなものだったと思いますよ」
これは逆に謎を追うヒントになりました。
たしかに昔の人たちは字を書く人などほとんどおらず、日本最古の歴史書といわれる「古事記」「日本書紀」を書いた人なんて本当にごくごく一部の特別な人でした。
その後の時代においても、庶民まで字を読み書きできるようになったのは、長い日本の歴史のうちほんの最近ということになるでしょう。
ということは、たとえば水の神様がどんな神様なのかは、その土地に住んでいた氏族のルーツが影響しているのではないかと思ったのです。
神社では、氏族が崇拝されていた神や、ご先祖様が御祭神とされたり、時に敗者側を祟り神として祀られてきた歴史があるようです。
(以下の書籍が「神社とは?」「なぜこんな形式になった?」という疑問に答える形で説明してくれているので分かりやすいです。)
ただ明治時代に御祭神が多く書き換えられたという情報もありますが、その書き換えに「人」が絡んでいるのなら、その書き換えは荒唐無稽なものではなく何らかの法則はあるのではないか、とも。
そして字が無い時代だからこそ、形_目に見えるもので残そうとしたのではないでしょうか。
それが右三つ巴紋であったり、狛犬であったり、石灯籠であったりしないだろうかと、色々な情報の欠片をこのサイトに集めています。
行きたいけどなかなか行けない史跡も沢山ありますが、気長にいきます。
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