タイトルのままですが、備忘録がわりにつぶやいておきます。
「高野山造営に関わる豪族丹生氏の氏神 『丹生明神』像が三谷薬師堂に残されていた」
和歌山県立博物館


特別展関連コラム「三谷薬師堂の女神坐像-残された鋳造神像の木型-」
三谷薬師堂の女神坐像-残された鋳造神像の木型- 高野山の開創にまつわる、一つの物語がある。弘法大師空海が密教の道場を造る好地を探して、今の奈良県五條市あたりを…
明神とは明治の神仏分離の前には一般的だった、仏教と神道が混じった信仰対象の名前…という理解です。
はっきりと神道に分けられると、信仰対象の特徴や性別が分からなくなったのですが、神仏分離前はこのように像として残っていることから、それらがはっきりとして伝わりやすかったのでしょうね。
そして薬師堂というところがまた、私が追っている謎のキーワードにまたもやつながるのです。
目次
この記事を読んでいる方におすすめの記事
丹生川上神社 上社には日本最古の龍神が祀られている↓
あわせて読みたい


日本最古の龍神を祀る「丹生川上神社上社」の社紋が右三つ巴紋
以前、国東半島の北端の小さな神社「伊美崎社」のお賽銭箱に、宇佐八幡宮とは逆向きの右三つ巴紋が刻まれていました。(GoogleMapの画像で確認) そこでその紋に気がつ…
平安時代に栄えた国東半島・六郷満山は薬師如来を祀る霊場だったらしい↓
あわせて読みたい


熊野磨崖仏に隠された「薬師如来」の謎:牛頭天王と消された信仰の系譜
今回は、大分県豊後高田市の熊野磨崖仏(くまのまがいぶつ)にある大日如来像が、元々は薬師如来であったことについて、詳しくお伝えします。 熊野磨崖仏の大日如来は、…




