高野山造営に関わる豪族丹生氏の氏神「丹生明神」像が三谷薬師堂に残されていた

ライターのつぶやき
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タイトルのままですが、備忘録がわりにつぶやいておきます。

「高野山造営に関わる豪族丹生氏の氏神 『丹生明神』像が三谷薬師堂に残されていた」

明神とは明治の神仏分離の前には一般的だった、仏教と神道が混じった信仰対象の名前…という理解です。

はっきりと神道に分けられると、信仰対象の特徴や性別が分からなくなったのですが、神仏分離前はこのように像として残っていることから、それらがはっきりとして伝わりやすかったのでしょうね。

そして薬師堂というところがまた、私が追っている謎のキーワードにまたもやつながるのです。

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この記事を書いた人

2021年に豊前市へ移住。フォトライターとして、主に福岡県の豊前市・上毛町・吉富町・築上町・みやこ町・行橋市・苅田町、および大分県の中津市・宇佐市・豊後高田市・国東市といった旧・豊の国エリアを活動範囲としています。
カメラを持ってフラッと6時間のカメラ旅に出かけ、このエリアの史跡、神楽、祭りなどを記録し、「日常を離れた歴史の世界」の魅力を発信するほか、古民家図書館を運営。

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