【大分県臼杵市】丸山古墳 2020年9月撮影記録

【大分県臼杵市】丸山古墳 2020年9月撮影記録
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撮りためたGoogleフォトを眺めて、まだ記事化していなかった写真をアップしています。

2020年9月に訪れていたのは、大分県臼杵市の丸山古墳です。

目次

丸山古墳 2020年8月撮影記録

臼杵市へは初の訪問でした。

【大分県臼杵市】丸山古墳 2020年9月撮影記録

臼杵石仏を見に、北九州市から一泊二日の旅。

その時の写真を眺めていたら、臼杵市の丸山古墳にも訪れていたことが分かりました。

【大分県臼杵市】丸山古墳 2020年9月撮影記録

なぜここに行ったのかと思えば、臼塚神社・臼塚古墳のすぐそばの神社でした。

その時、撮っていたんですね。

五輪塔で思い出しました。

【大分県臼杵市】丸山古墳 2020年9月撮影記録

丸山古墳
所在地
臼杵市大字稲田字西平
築造年代
五世紀中頃
形状
円墳(本来の規模は不明)
埋葬主体
舟形石棺直葬

丸山古墳は、古墳時代において大野川東岸から豊後水道沿岸部にかけての広大な領域を支配していた海部一族の族長(首長)に関係する有力者の墓と考えられる円墳です。
もともとは直径が一五メートル以上あったと考えられますが、周辺道路の拡張や畑の開墾などによって次第に削られていき、現在のような大きさになりました。
その頂部に置かれている板状の石は、この古墳に納められていた舟形石棺の一部です。舟形石棺は石を刳りぬいて造られた蓋と棺身(死体を葬る箱の部分)からなりますが、棺身は壊され、底の部分だけがここに現存しています。
臼塚古墳の前方部に置かれている蓋が丸山古墳の 石棺の蓋であると伝えられています。石棺の規模は、残された棺の底から、長さおよそ二・五 m、幅およそ一・Omと推定されます。
また、蓋石の断面形状が臼塚古墳のものよりも三角形 に近くなっていることから、臼塚古墳のものより新しい時期に造られたものと考えられます。
臼杵地方では、このような石棺を持つ古墳はこの二基のみであり、この点からも、丸山古墳に 埋葬された人と臼塚古墳の被葬者との深い関係性を示しています。
丸山古墳が所在するこの三重野台地にはこの他に、田崎古墳、鏡塚古墳などといった、より小規模な古墳が点在しており、この台地が五世紀前半~中頃にかけて海部集団の拠点であった ことを物語っています。

臼杵市教育委員会
石棺の蓋実測図
三重野遺跡のおおよ
三重野台地周辺の古墳マップ

看板に書かれている「海部一族(あまべいちぞく)」とは、海部氏を指すものではなく、海洋術に長けた民族を指しているそうです。

これは、だいぶ後になって知りました。

個人的には、私が辿っている、九州を拠にした海の一族ではないかと考えています。

看板の写真を見て気付いたこと。丸山古墳近くに「高倉古墳」

今回写真を見返して見て気づいたこと。

それはこの丸山古墳の近くに「高倉古墳」の記載があることでした。

高倉古墳といえば、大分県宇佐市長洲にある古墳です。

高倉古墳と高倉神社には、海の一族を思わせる伝承が残っていました。

また、「高倉」がつく古墳は他にもありました。

さらに調べてみようと、臼杵市の高倉古墳について調べようとしたら、ネットでは情報が見つかりません。

もしかしたら書籍には残っているのかも。

また調べたらこちらでの追記しようと思います。

臼杵市 丸山古墳の場所

〒875-0082 大分県臼杵市稲田

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この記事を書いた人

2021年より豊前市を拠点に活動。
写真と文章で表現と記録の間のようなこと。北部九州を中心に、「山の中の『海』」「宇佐神宮と逆向きの三つ巴紋」など、気づかれにくい痕跡を辿っています。ローカルメディア「豊のくにあと」 と古民家図書館TSUDURIを運営。たまにセミナーやイベント。

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