【調査ノート】福岡県春日市上白水 京都の石清水八幡宮の荘園を管理していた「白水八幡宮」に右三つ巴紋?

右三つ巴紋
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宇佐神宮や多くの八幡神社と違う向きの三つ巴紋「右三つ巴紋」を国東半島の北端で見つけて以来、なぜ向きが違う三つ巴紋があるのかと調べています。

【宇佐市下庄】貴船神社の神楽奉納で右三つ巴紋を見つけた。
宇佐市貴船神社(下庄)の右三つ巴紋

歴史の専門家に尋ねても「さぁ、考えたこともありませんね」との回答でしたが、自力で調べていくうちに、やはり意味があるのでは?と思いを強くしています。

右三つ巴紋の神社を沢山調べたり、分布図でも作ればもっと色々なことが分かるんじゃないかと調べ続けているのですが、すぐに全てに出向くのはなかなか難しい状態です。

すぐに行けなくても「いつか見に行きたい気になる神社」として、調べたことをメモ代わりに記事化しています。

目次

春日市上白水 白水八幡宮のGoogleMapの画像で右三つ巴紋を確認

以前、右三つ巴紋がある神社を探した時、福岡市以西でよく見つかる気がしていました。

そこで古墳があるエリアや、このメディアで追っているキーワードとつながる神社を調べていたら、右三つ巴紋がある神社を確認できました。

この春日市上白水の「白水八幡宮」でも右三つ巴紋が見つかりました。

このメディアで追っているのは、古代の古層の信仰です。

九州北部が大和朝廷の勢力下になる前、別の大きな勢力があり、その痕跡を追っています。

福岡県神社誌で確認

春日市(旧筑紫郡春日村)に鎮座する、白水八幡宮の基本データです。

白水八幡宮
  • 所在地 筑紫郡春日村大字上白水字大町(現・福岡県春日市上白水)
  • 御祭神 神功皇后、応神天皇、玉依姫命
  • 由緒 不詳。明治5年11月3日に村社に定められた記録が残る。
  • 例祭日 9月19日
  • 主な建造物 神殿、幣殿、拝殿
  • 境内坪数 1,235坪
  • 氏子区域および戸数 上白水、下白水、昇町、大土居、浦の原(計150戸)

これまで調べてきた神社と比較しても、かなり情報が少ない神社です。

ただし以下に詳細を述べますように、白水八幡宮は近くに弥生時代から江戸時代まで続く複合遺跡「中白水遺跡」のすぐそばにあり、かつ遺跡のエリアには、京都の石清水八幡宮の荘園もあったそうです。

そして白水八幡宮はその荘園の管理をしていたと。

それだけ重要な神社であるに関わらず、なぜ福岡県神社誌に情報がほとんど載っていないのか、その事実に要注目です。

メモ① 弥生時代から江戸時代まで続く複合遺跡「中白水遺跡」とは

中白水(なかしろうず)遺跡は、福岡県春日市上白水に位置する、弥生時代から中世にかけての複合遺跡です。

弥生時代中期〜後期(紀元前2世紀〜紀元後3世紀)の集落跡や、平安時代〜鎌倉時代(12〜13世紀)の集落跡が重なって確認されています。竪穴建物跡や溝などが発掘されており、溝からは弥生土器も出土しています。

平安時代から鎌倉時代にかけて、京都・石清水八幡宮の荘園「白水荘(しろうずのしょう)」があったとされ、過去の調査では在地領主の館跡も見つかっているようです。

メモ① 京都の石清水八幡宮の荘園「白水荘」を管理していた白水八幡宮

なぜ遠く離れた福岡県春日市に、京都の石清水八幡宮の荘園があったのでしょう?

石清水八幡宮は貞観元年(859年)、僧・行教が宇佐八幡宮の神託を受け、国家鎮護のため男山(おとこやま)に八幡大神を勧請(かんじょう)したことに始まるそうです。

春日市が、古代の九州の当地拠点だった大宰府に近いことが関係しているのでしょうか。

現在の京都の石清水八幡宮の神紋は「流れ左三つ巴紋」のようですが、岩清水八幡宮ウェブサイトで画像を確認すると、一つ逆向きの「流れ右三つ巴紋」がありました。

《流れ左三つ巴紋》
巴は橘とともに当宮の御神紋であり、御本殿の彫刻を始め軒瓦など各所に見られます。当宮の巴は「流れ左三つ巴」であり、いつの時代に何故御神紋になったのか定かではありませんが、尾が長い文様ほど古いとされています。  幣殿の蟇股には4つの巴紋の彫刻が施されていますが、実は1つだけ右巴があります。これは、社殿を完成させてしまうと、あとは朽ちるのを待つことになり、あえて未完成の箇所、間違いの箇所を造ることにより、まだその社殿が未完成であり、益々の発展を遂げるという願いと縁起が込められているとされています。

岐阜女子大学デジタルアーカイブ研究所ウェブサイトから引用

あえて間違いの箇所を造ったそうですが、この右三つ巴紋の符号は偶然でしょうか。

メモ② 白水八幡宮の北西に「日拝塚古墳」

日拝塚古墳(ひはいづかこふん)は前方後円墳で、国の史跡に指定されています。

6世紀に築造され、周溝を含めると全長約60m、墳丘の主軸が東西を向いており、彼岸の時期に東方の山から昇る太陽を拝めることから名付けられました。

盗掘時に多くの副葬品が出土し、現在は東京国立博物館などに収蔵されていますが、一部(金製垂飾付耳飾など)は【奴国の丘歴史資料館】で展示され、墳内の横穴式石室も見学可能です(要事前連絡)。

〒816-0846 福岡県春日市 下白水南6丁目208

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この記事を書いた人

2021年に豊前市へ移住。フォトライターとして、主に福岡県の豊前市・上毛町・吉富町・築上町・みやこ町・行橋市・苅田町、および大分県の中津市・宇佐市・豊後高田市・国東市といった旧・豊の国エリアを活動範囲としています。
カメラを持ってフラッと6時間のカメラ旅に出かけ、このエリアの史跡、神楽、祭りなどを記録し、「日常を離れた歴史の世界」の魅力を発信するほか、古民家図書館を運営。

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