瀬織津姫という女神、そして牛頭天王。
その名前を私は長らく意識することがありませんでした。
しかし、豊前市に移住してから上毛町垂水という山国川沿いの神社で、瀬織津姫と牛頭天王という存在を初めて意識するようになりました。
そしてその神社の名前は明治時代以前は現在の「八坂神社」ではなく、「滝ノ宮牛頭天王宮」だったことを知りました。
瀬織津姫=水神と祓いの神の役割
瀬織津姫は、「古事記」や「日本書紀」には登場しませんが、「延喜式」の祝詞などに名前が見られ、天照大神の荒魂として伊勢神宮に祀られているほどの女神です。
また、滝の神、水神、そして罪穢れを祓い清める神として各地で崇敬されてきたといいます。
そんな女神がなぜ「古事記」「日本書紀」に存在しないのか。
その違和感からか、「謎が多い女神」ともいわれています。
牛頭天王
牛頭天王(ごずてんのう)は、強力な疫病退散・厄除けの神様といわれています。
古代インドの祇園精舎の守護神に由来し、中国の陰陽道や道教の要素が混ざり合って日本に伝わったという説があります。
平安時代以降、荒ぶる性格や災いをもたらす疫神(えきじん)としての側面と、それを強力に追い払う守護神としての性格が信仰を集め、京都の八坂神社に代表される「祇園信仰」の中心となりました。
中世以降は、日本神話の英雄であり荒ぶる神でもあるスサノオノミコト(素戔嗚尊)と同一視され、日本全国の「祇園社」や「天王社」で祀られてきました。
明治時代の神仏分離令によって仏教色の強い「牛頭天王」という呼称や信仰は公的には整理され、現在では多くの神社で祭神としてスサノオノミコトが正式に祀られています。
「瀧ノ宮牛頭天王」で見た水の痕跡

疫病を退散させる強力な神である牛頭天王は、日本ではやがて、荒ぶる神である素戔嗚尊(スサノオノミコト)と同一視されたそうです。
この牛頭天王信仰の源流の一つは、京都の八坂神社の「元祇園」とされる播磨国・廣峯(ひろみね)神社です。
先に述べた上毛町垂水(たるみ)にある八坂神社の前身は、かつて「瀧ノ宮牛頭天王(たきのみやごずてんのう)」と呼ばれていたそうです。
八坂神社に今なお祀られている瀬織津姫(祓戸四神の一柱として)と素戔嗚尊(かつての牛頭天王)。
この社は、養老年間(717年~724年)に、疫病鎮守のため廣峯神社から勧請されたのが始まりと伝えられているようですが、どうやら「滝宮」と「牛頭天王」が結びつく名前は他の地域にもあるようでした。
そして同様に明治時代に変更されている神社もあるようでした。
仏教色の排除は歴史的事実
この改名は、牛頭天王という仏教的要素の排除が主な目的だったといわれています。
しかし上毛町の八坂神社では、同時に「瀧ノ宮」という水神信仰を感じさせる名称も消えることになりました。
消したかったのは、牛頭天王の仏教的要素だけだったのか。
それとも、「瀧(滝)」と「牛頭天王」とのつながりだったのか。
答えはまだ分かりませんが、他の地域での情報が得られたらまた何か見えてくるかもしれません。
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