福岡県豊前市周辺の地域を巡る中で、京都では総本社が一箇所であるにもかかわらず、中津市や宇佐市、豊後高田市といった豊前地域に八坂神社が多いことに気がつきました。

祇園信仰の源流
全国に約3,000余社ある八坂神社は、疫病除けの神として信仰された牛頭天王を祀り、その総本社は京都の八坂神社(祇園社)です。
しかし、牛頭天王信仰の源流は京都ではなく、兵庫県姫路市にある廣峯(ひろみね)神社に求められるという説が有力です。
京都の八坂神社と姫路「廣峯神社」の繋がり
八坂神社に祀られている牛頭天王は、元々、兵庫県姫路市にある廣峯(ひろみね)神社から遷(うつ)されたと伝えられています。
廣峯神社は、弥生時代、崇神天皇の治世(今からおよそ二千年以上前)に、主祭神である素戔嗚尊(スサノオノミコト)と五十猛命(イソタケルノミコト)を白幣山(はくへいざん)に祀ったのが始まりとされています。
現在の廣峯神社の奥から白幣山の頂上に行けるようで、そこには素戔嗚尊を祀る荒神社があったとも言われています。
同じく素戔嗚尊を祀る神社ではありますが、廣峯神社は京都の八坂神社の本家「元祇園(もとぎおん)」とされており、牛頭天王信仰の源流の一つなのです。
豊の国エリアでも「牛頭天王」が祀られていた

では、なぜ中津市や宇佐市、豊後高田市といった豊の国の地で、これほどまでに八坂神社があるのか。
なぜ牛頭天王信仰が深く根付いたのでしょうか。
注目したいのは、上毛町垂水(たるみ)にある八坂神社の前身です。
この八坂神社は、かつて「瀧ノ宮牛頭天王(たきのみやごずてんのう)」と呼ばれていました。
ある記事によると、「瀧ノ宮牛頭天王は、元正天皇の御宇、養老年間(717年~724年)にこの地で疫病が流行した際、播磨国飾磨郡(現在の兵庫県姫路市)の廣峯神社より疫病鎮守のため勧請し祭祀したのが始まり」と伝えられています。
つまり、播磨の廣峯神社から直接、牛頭天王がこの豊前の地へ招かれ、祀られていたということになります。
「瀧ノ宮」と「牛頭天王」の繋がりが消された?
しかし、この「瀧ノ宮牛頭天王」という名称は、明治時代になる直前の慶応4年(1868年)3月に発令された「神祇官の再興及び太政官布告による神仏判然令」、いわゆる神仏分離令によって「八坂神社」へと変更されたそうです。
この改名は、単なる神仏分離だけでなく、「瀧ノ宮」と「牛頭天王」の繋がりが消えています。
その繋がりが消えたのは、このエリアだけではありません。
「滝」という名前が消された寺社があると、四国・徳島県でスサノオと滝宮の関連について発信している方もいらっしゃいました。
この現象がどれほどの範囲で起こっていたのか、全国的にも調べてみたい点です。
八坂神社の数の多さの謎を調べているうちに、また新たな謎が増えてしまいました。
この「滝」が持つ意味、そしてそれが「牛頭天王」とどのように結びつき、そしてなぜ消えたのか。
まだまだ分からないことだらけです。
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