国立歴史民俗博物館名誉教授 新谷尚紀氏監修「神社に秘められた日本史の謎」に、神社の御祭神が明治維新で変更されたのは事実であることが伝えられています。
スサノオを祀る八坂神社は明治生まれ
明治維新の神仏分離政策により、打撃を受けたのはお寺だけではありません。
神社も同様でした。
神職の世襲が禁止されて、社家の多くが窮地に陥ったといいます。
さらに強行されたのは、社号と祭神の変更です。
京都の祇園社は、八坂神社と改称、御祭神も牛頭天王から素戔嗚(スサノオ)に変更されました。
ただし祇園社は、本来の祭神は「祇園天神」だったとも考えられているそうです。
全国で祇園社から勧請された多くの「天王社」も、八坂神社・八雲神社などと改称され、御祭神も素戔嗚(スサノオ)に変更されたといいます。
弁天様は宗像三女神に改められた
江戸時代には「与願寺」と称された江島弁天(江島明神)は、明治時代の神仏分離令で江島神社と改称されました。
御祭神も宗像三女神(田心姫命・湍津姫命・市杵嶋姫神)に改められました。
「弁財天が水を司る女神であることから、海の女神である宗像神が擬せられたのだろう」と書籍には書かれています。
琵琶湖の竹生島弁天は「都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)」と改称され、御祭神も江島弁天と同様に宗像三女神と定められました。
このように全国の弁天社は明治維新で宗像神(市寸島比売命)を祀る神社に変えられたところが多い事実があります。
関東で多かった「第六天社」が消されたのも明治時代
修験者が信奉したことで広まったという「第六天社」が、江戸時代、関東を中心に多数存在したそうです。
「第六天」とは仏教の考えで、欲に満たされたゾーンに住む魔王や仏道の妨げをする悪魔であるものの、強い法力を持つといわれました。
しかし神仏分令によって、面足尊・惶根尊の夫婦神として祭神が変更されたそうです。
さらには社号が改称されたり、他の神社に合祀されたりして、多くの第六天社は姿を消したようです。
素朴な地主神や山の神が有名神に変更されたのも明治時代
長く続いた神仏習合の時代の影響で、地方の小さな神社は仏像を御神体として、山の神や地主神などを祀る神社が多かったといいます。
それもそのはず、庶民が読み書きできる時代は近代からなのですから。
- 山の神→大山祇神
- 地主神→大国主神・少彦名神
そのように地方の多くの御祭神が改められ、仏像は撤去されたそうです。
「現行の社号や祭神としての歴史は意外に浅い」
このように、神仏分離令にともなう神社の祭神の変更は、建前は神仏習合前の祭神に戻すという形だったが、現実に行われたのは、記紀神話や「延喜式」「神名帳」によって権威づけられた特定の神々に信仰対象を転換するという作業であり、それは全国の神社を国家的なイデオロギーのもとに包摂するという役割をもはたしたのである。そして、今日の神社の多くは、明治の神仏分離によって祭神が変更されていて、現行の社号や祭神としての歴史は、意外に浅いのである。
国立歴史民俗博物館名誉教授 新谷尚紀氏監修「神社に秘められた日本史の謎」p.155から引用
国東半島の古社「奈多八幡宮」の元宮司さんの言葉「文字がない時代から『神社』や『古墳』は『ある』」
「世の中には、字が無い時代のことは分からないと仰る方もいる。しかし、現実に『ある』ではありませんか、古墳が。続いているではありませんか、神社が。なぜそれをもっと調べようとしないのか」
私がひとり、石灯籠の謎を追って訪れた場所で偶然出会った宮司さんの言葉です。
私も実に「そうだなぁ」と思いました。
このメディアに「調査ノート」というカテゴリーを作って記事を綴っていますが、調べるにあたり、大変参考になるのは神社の場所です。
山や海の場所は古代から変わることはありません。
同じものを見ていたはずです。
大きな川や池がある場所も、きっと古代の人たちにとって特別な場所でしょう。
古墳なんて、当時の最強のパワースポットであるという説もあります。
たとえ御祭神や神社名が変えられていたとしても、海や山の場所を変えることはできません。
古墳のような大きものも変えられませんし、舟形石棺や右三つ巴紋のような形で残した可能性はあるのではと。
このメディアで引っかかったキーワードを追いかけています。
「スサノオ」「大山祇神」「大国主神」「少彦名神」…変えられた御祭神名、祭りに注目
本や各地の神社の由来が教えてくれるように、明治時代で変えられた御祭神が分かっているのなら、逆にその名前に注目です。
そこには「変えられる理由」が眠っているのかもしれません。
また、神社で古くから行われている祭りにも注目です。
神社よりも前に「祭り」があるのです。
「祭り」が先で、神社は後。
豊前市に移住して、その祭りに「神楽」も含まれるのだろうと実感しています。





