2025年3月に訪れたうきは市。
一泊二日の旅で、市内の神社や古墳などに行ってきました。




その時に訪れた神社で偶然見つけた「右三つ巴紋」をご紹介します。

「右三つ巴紋」は宇佐神宮や多くの八幡神社と逆向きの三つ巴紋です。
国東半島の北端の小さな神社でその紋を見つけて以来、なぜ向きが違う三つ巴紋があるのかと調べています。

まだ調べている途中ですが、時計回り(右回り)にはプラスや成長、反時計回り(左回り)にはマイナスや抑制という意味があるという説も。詳しくは以下の記事もご覧ください。

うきは市 隈上正八幡宮で見つけた三か所の「右三つ巴紋」

隈上正八幡宮の拝殿前です。
右三つ巴紋三か所はこの写真に映っています。

まずは拝殿の正面の屋根に二か所、右三つ巴紋がありました。

そして狛犬や狛鳥たちの向こう側、二本の石柱の上部にも右三つ巴紋を発見。

福岡県神社誌でこの神社の情報を確認
村正八幡宮
浮羽郡御幸村大字西隈上字宮ノ本
祭神 神天皇、豊玉姫命、高良玉垂命、雷神、罔象女神由緒略縁起の人皇五十六代清和天皇貞觀二年二月十 九日熊左兵衛之助俊定なる者山城國久世郡雄德山より勸詩止云々、又曰人皇八十二代後鳥羽天皇御宇建久八年丁巳二月三毛入野命の後胤大藏永隆再興す寛正元年庚辰八月日田鬼大夫大永季の後胤隈上五郎親武再興す、天文二十三年甲寅四月星野下野守再興す、天正十八年庚寅八月慶長十年乙巳十一月寬永二十年末五月氏子中にて再興す明治六年三月十四日村社に定めらる、祭神雷神は字脇戶に無格社雷神社として、祭神罔象女神は字欠町に無格社水神社として祭祀ありしを大正 十三年十二月九日許可を得て合併。
例祭日 十月十九日
神饌幣帛料供進指定 大正十四年十二月十七日
主なる建造物 本殿、幣殿、拝殿、社務所
主なる寶物 縁起書一卷、扁額一面、棟札三枚、鏡二面
境内坪敷 九百六十九坪九合六句
氏子區域及戶數 御幸村大字東隈上及西隈上 戶數二百五十戶
境内神社 貴船神社(闇霧岬)
秋葉神社 (加具土神)琴平神社(崇徳天皇)
猿田彦神社(猿田彦神)
天満神社 (菅公)
天滿神社(菅公)
猿田彦神社(猿田彦神)
福岡県神社誌から引用
現代語訳
【所在地】 浮羽郡御幸村大字西隈上字宮ノ本(現在のうきは市吉井町西隈上)【祭神】
- 応神天皇(八幡神)
- 豊玉姫命(海の女神・龍宮の姫)
- 高良玉垂命(高良大社の主祭神)
- 雷神(もとは無格社・雷神社の神)
- 罔象女神(もとは無格社・水神社の神)
【由緒・沿革】
創建: 平安時代の貞観2年(860年)。熊左兵衛之助俊定という者が、山城国(京都)の石清水八幡宮(男山)から勧請したと伝わります。
再興の歴史:
- 1197年:大蔵永隆(三毛入野命の子孫)が再興。
- 1460年:隈上五郎親武(日田鬼大夫の後胤)が再興。
- 1554年:星野下野守が再興。
- 1590年〜1643年:氏子たちによって度々再興される。
- 近代: 明治6年に「村社」に定められました。大正13年には、近隣の「雷神社(雷神)」と「水神社(罔象女神)」を合併し、現在に至ります。
【規模・建造物】
- 境内: 約970坪
- 主要建物: 本殿、幣殿、拝殿、社務所
- 氏子数: 250戸
- 例祭日: 10月19日
【主な宝物】 縁起書一巻、扁額、棟札三枚、鏡二面
【境内神社(摂末社)】
- 貴船神社(闇龗神):ここにも「水の神」が祀られています。
- 秋葉神社(カグツチ)
- 琴平神社(崇徳天皇)
- 猿田彦神社(二社)
- 天満神社(二社)
「八幡」と神社名に入っているのに、宇佐神宮の御祭神とだいぶ異なります。
宇佐神宮の御祭神は応神天皇・神功皇后・宗像三女神とされています。
高良玉垂命(高良大社の主祭神)は豊前エリアで見ることがない御祭神ですが、おそらくこのメディアで追っている右三つ巴紋と関わりを持つ気がしています。
かなり古い時代に京都の石清水八幡宮から勧請されたり、再興が繰り返されています。
気になるエビス様の像
うきは市では神社や町中にエビス様が置かれていたのですが、とにかく数が多く、そんな光景は見たことがなかったので大変印象に残りました。
このエビス様も右三つ巴紋にリンクしているかもしれない、と今は考えています。

右三つ巴紋を探している理由
巴紋の向きの違いに意味はあるのか、歴史の専門家に尋ねても「さぁ、考えたこともありませんね」との回答でした。
それで自力で右三つ巴紋について調べたり、探したりしています。








