「木船神(きふねのかみ)」という名を見たとき、多くの人は、まず水を思い浮かべると思います。
川。
雨。
湧水。
けれど、「木船」という言葉そのものは、水ではなく、船を指しています。
船は、水の上を渡るためのもの。
そして、長いあいだ船は、木で作られてきました。
そう考えると、「木船」という名が、山の中に残っていることは、少し不思議に感じられます。

各地に残る伝承をたどっていくと、木船神(貴船神)を、水の女神として伝える例があります。
瀬織津姫。
ミヅハノメノカミ。
水分神。
名は違っても、水に関わり、境界に立ち、流れを調える存在。
水の上に浮かぶ船と、水そのものを司る女神。
両者は切り離せない関係にあります。
それでもなお、船という具体的な「かたち」を持つ名が、山の中に残されている理由は、簡単には説明できません。
山深い場所に足を運んでみたら、あるとき、不思議な存在に出会います。
エビス様です。

本来、エビス様は海の神。漁や船と深く結びついた存在です。
ところが、そのエビス様が、海から遠く離れた山奥に祀られている例が残っています。
また海や船に関わる神が、海から遠く離れた山奥に祀られている例は、エビス様に限りません。

なぜ、海の神が山にいるのか。
この問いに、はっきりした答えは用意されていません。
木船という名。
水の女神たち。
山の中に残る海の気配。
そして、山奥のエビス様。
これらは、それぞれ別の文脈で語られてきました。
けれど、同じ風景の中で重なって見えてくるとき、ひとつの可能性が、浮かび上がってきます。
海や船に関わる神として、安曇磯良の名を思い浮かべる人もいるかもしれませんが、
山の中に、木船の名が残り、水の女神が祀られ、海の神が静かに座っている。
それだけで、この土地が、ただの「山」ではなかったことは、十分に伝わってきます。
答えをひとつにまとめなくても、いくつかの風景が、すこし違って見えてくる。
今は、それで十分だと思います。





