国東半島の山深い地に位置する六郷満山の寺院、天念寺。ここでは毎年旧暦1月7日に、神仏習合の伝統を伝える勇壮な火祭り「修正鬼会(しゅじょうおにえ)」が行われます。
この天念寺の奥の院には、かつて**「六所権現」が祀られていた身濯(みそそぎ)神社があります。この山中の社に、なぜ海の波の紋様「青海波」**が描かれているのかという謎は、最近得られた一つの情報によって深まりました。
豊後高田市の学芸員の方から、「あそこに祀られているのは『八大龍王』です」という興味深い情報をいただきました。この龍神信仰の痕跡から、六郷満山における神仏習合の謎を考察します。

火祭りの地に祀られた水の守護神「八大龍王」
八大龍王は仏教における水の守護神であり、降雨や水害除けの神格として、水神信仰の核をなす存在です。
火を多用する修正鬼会が行われる天念寺で、その鎮守として水の守護神である八大龍王が祀られていたことは、非常に重要な意味を持ちます。
学芸員の方から「火除け」としての意味合いがあるのでは、という推測があったように、八大龍王は、修正鬼会の火に対する守護、そして寺院のすぐそばを流れる長岩屋川の治水を担う存在として位置づけられていたと推測されます。実際、天念寺境内には、暴れ川だった長岩屋川を鎮めるための川中不動も残されています。

また、本殿に描かれていた「青海波」の紋様も、八大龍王という海の要素を持つ神格を象徴的に表現していたと考えられます。

祓いの神と龍神の一致:無動寺六所権現の祭神
天念寺のある地域から谷を挟んだ反対側には、同じく六郷満山寺院の無動寺があり、ここにも身濯神社(六所権現)が残されています。
興味深いのは、無動寺の六所権現の祭神です。明治15年の『大分県神社明細帳』には、その御祭神として八十枉津日命(やそまがつひのみこと)の記載がありました。
この神は、神道の『大祓詞(おおはらえのことば)』に登場する神で、禍(まが)や穢れを司る神とされます。
天念寺の六所権現が八大龍王(水の力で災厄を鎮める)を祀り、無動寺の六所権現が八十枉津日命(穢れと禍の神)を祀っていたという事実は、「身濯(みそそぎ)=水で汚れを洗い落とす」という神社の名前に強く結びついています。
八大龍王と八十枉津日命という、神仏は違えど「水」と「災厄の祓い」を象徴する存在が、対の寺院の六所権現に祀られていたのです。八十枉津日命を瀬織津姫の異称とする説もあるように、どちらの神も災厄を祓う神格を持っていた点で共通しています。
六所権現に秘められた古代の信仰
六所権現は、時代や地域によって構成が異なりますが、修験道や密教が盛んな地域では、「権現」として仏と神が重ねられ、護国鎮守の役割を担いました。
この国東半島においては、鎮守の役割に水の力(龍神信仰)と祓いの力(穢れを水に流す)が深く組み込まれていたと考えられないでしょうか。
この複合的な信仰構造は、福岡県宗像市にある宗像大社の神宮寺であった鎮国寺にも共通して見られます。
鎮国寺の奥の院には、八大龍王が祀られています。また、宗像大社には、かつて「貴船大明神」が安置されていたという記録が鎌倉時代の『宗像大菩薩御縁起』に残されています。

貴船神社の祭神である高龗神や闇龗神(龍神)と、宗像大社の女神たち、そして八大龍王という水の神々が地域を超えて結びついていたことは、古代の海洋交通と深く結びついた広範な龍神・水神信仰が存在したことを示唆しているのか。
謎が深まります。
追記:八大龍王=安曇磯良(五十猛)?の可能性
この記事を執筆した後に出会った情報によれば、北部九州から瀬戸内海で崇拝されていた龍神を、安曇磯良と結びつける仮説も存在します。
八大龍王という仏教の神格の背後に、特定の海洋氏族の祖神信仰が隠されていたのかもしれません。





