大分県豊後高田市にある熊野磨崖仏。
ここで気になったのは、大日如来像が、もとは薬師如来として造立された可能性があるという話でした。
調べていくと、薬師如来は六郷満山のはじまりにも関係する仏であることがわかります。
そして、薬師如来は牛頭天王の本地仏とされる仏でもあります。
六郷満山の初期に薬師如来を祀る霊場があったこと。そして、薬師如来が牛頭天王の信仰と結びついていること。
今回は、この二つの事柄を手がかりに、熊野磨崖仏と薬師如来、牛頭天王の関係について整理してみます。
熊野磨崖仏の大日如来は、もとは薬師如来だった?
熊野磨崖仏は、大分県豊後高田市の田染平野にある磨崖仏です。

岩壁には、高さ約7メートルの大日如来像と、約8メートルの不動明王像が刻まれています。
このうち、大日如来像については、もとは薬師如来として造立されたのではないかという見解があります。
もしそうであれば、現在、大日如来として知られる仏像には、造立当初とは異なる意味づけがなされてきた可能性があります。
ただし、薬師如来として造られたという説の根拠や、いつ、どのような経緯で大日如来と見なされるようになったのかについては、別途確認が必要です。
ここで注目したいのが、薬師如来という仏が、六郷満山の歴史にも登場することです。
国東半島に広がる六郷満山。
そのはじまりについては、養老2(718)年に仁聞菩薩が28の谷に寺院を開いたという伝承が知られています。
一方、国東半島の寺院と宇佐宮弥勒寺の僧侶との関わりを伝える史料もあります。
日本遺産「鬼が仏になった里『くにさき』」の紹介によると、宇佐宮の『託宣集』には、奈良時代から平安時代前期にかけて、宇佐宮弥勒寺の僧侶たちが各地に仏を祀ったことが記されています。
「くにさき」と薬師如来
六郷満山のはじまりと薬師如来は大きく関係しているといわれています。一般に六郷満山のはじまりと言えば、養老2(718)年に八幡神の応現である仁聞菩薩が、28の谷にそれぞれ寺院を開いたと伝わっています。しかし、少し史料を紐解くと、六郷満山のはじまりには、宇佐宮弥勒寺の僧侶が関係していることが分かります。
宇佐神宮の『託宣集』によれば、奈良時代から平安時代前期にかけて、宇佐宮弥勒寺の僧侶である法蓮・華厳・覚満・躰能が、それぞれ虚空蔵寺(宇佐市山本)に虚空蔵菩薩、法鏡寺(宇佐市法鏡寺)に如意輪観音、薬王寺(豊後高田市森)に薬王菩薩、六郷山(国東半島)に薬師如来を祀ったとされていいます。ここから初期の六郷満山は薬師如来を祀るための霊場であったとされています。
薬師如来は六郷満山でも古いとされる本山寺院を中心に信仰され、鎌倉時代には8ヶ寺(智恩寺、後山金剛寺、高山寺、間戸寺、無動寺、岩戸寺、神宮寺、両子寺)で薬師如来は本尊とされていました。
鬼が仏になった里「くにさき」から引用
そのなかで、六郷満山には薬師如来が祀られたとされています。
このことから、六郷満山の初期には、薬師如来を祀る霊場があったと考えられています。
また、薬師如来は六郷満山の古い本山寺院を中心に信仰され、鎌倉時代には複数の寺院で本尊とされていたと紹介されています。
六郷満山の歴史を調べるうえで、薬師如来は見過ごせない存在だったのです。
熊野磨崖仏の大日如来像が、もとは薬師如来だったという見解も踏まえると、この地域で薬師如来がどのように信仰されてきたのか、さらに気になってきます。
ただし、六郷満山で薬師如来が重視されていたことと、熊野磨崖仏の大日如来像の由来が直接つながるかどうかは、現時点ではわかりません。
牛頭天王の本地仏としての薬師如来
もう一つ、薬師如来について調べるなかで気になったのが、牛頭天王との関係です。
牛頭天王は、疫病除けなどの信仰と結びついて各地で祀られてきた神です。
神仏習合のなかでは、薬師如来を本地仏とする信仰が広まりました。
本地仏とは、神仏習合の考え方において、神の本来の姿とされる仏のことです。
また、牛頭天王は、後世には素戔嗚尊(スサノオノミコト)と同一視されるようになりました。
ここで、今回の調査で見えてきた二つの事柄を並べてみます。
- 六郷満山の初期には、薬師如来を祀る霊場があったとされる。
- 牛頭天王は、薬師如来を本地仏とする信仰と結びついている。
薬師如来という同じ仏が、それぞれの歴史のなかに登場します。
そして、牛頭天王を通して見れば、スサノオという神の名前にもつながっていきます。
もちろん、これだけで六郷満山の薬師如来信仰と牛頭天王信仰の間に、直接的な関係があったとはいえません。
それでも、薬師如来という存在を通して、これまで別々に調べていたものが、同じ視野に入ってきました。
薬師如来を手がかりに、もう少し調べてみる
今回、熊野磨崖仏の大日如来像について調べたことから、六郷満山の初期における薬師如来信仰、そして牛頭天王との関係へと、興味が広がりました。
現時点でわかっていることは、それぞれの信仰に薬師如来が登場するということです。
それらが歴史的にどのようにつながっていたのかについては、まだわかりません。
熊野磨崖仏の大日如来像が、もとは薬師如来だったという見解についても、造立当初の姿や、その後の信仰の変遷を知るには、さらに資料を確認する必要があります。
ただ、六郷満山の歴史をたどるなかで出会った薬師如来が、牛頭天王、そしてスサノオを調べる際にも現れてくる。
私にとっては、そこが今回の発見でした。
一つの場所で気になったことを調べていくと、別の場所や、別の神仏の歴史にも目が向くことがあります。
今回の薬師如来も、そんな探索の手がかりの一つです。
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