宇佐神宮や多くの八幡神社と違う向きの三つ巴紋「右三つ巴紋」を国東半島の北端で見つけて以来、なぜ向きが違う三つ巴紋があるのかと調べています。

歴史の専門家に尋ねても「さぁ、考えたこともありませんね」との回答でしたが、自力で調べていくうちに、やはり意味があるのでは?と思いを強くしています。


右三つ巴紋の神社を沢山調べたり、分布図でも作ればもっと色々なことが分かるんじゃないかと調べ続けているのですが、すぐに全てに出向くのはなかなか難しい状態です。
すぐに行けなくても「いつか見に行きたい気になる神社」として、記事化していきます。

北九州市八幡西区東鳴水 貴船神社のGoogleMapの画像で右三つ巴紋を確認
ちょうど黒崎方面に行くことがあり、GoogleMapで調べてみたら、福岡県東部・大分県北部に多い「貴船神社」がありました。
北九州市にも貴船神社があったのです。
移住する前はそこまで気にしたことが無かったのですが、中津市や宇佐市ほどではないにせよ、いくつもありました。
東鳴水の貴船神社のGoogleMapに投稿された画像を見ると、右三つ巴紋が確認できました。
メモ②:神石「二つ岩」
GoogleMapの画像を確認すると「神石『二つ岩』」がありました。
神石「二つ岩」の由来
貴船社一の鳥居の下、この地を古くから「神畝」と云う。大なる「神石」二つ在り、慶長の頃より祭祀厳重なる有様にて「宮座」の神事あり。祭禮のとき、村中の者 悉くこの「神石」に二膳の饗饌を具備せる。
この時期この付近に貴船社御神殿の鎮座あり。「二つの岩」をこの地に残したままで、村人はこの地を「元宮跡」と云う。
古海氏霊社下りに有り、古海彦左衛門と 云う人の霊を祭れると云う。彦左衛門この「二つの岩」に座して、丁夫を指揮せり。その子孫村中にあり。
現代語訳
貴船神社の一の鳥居のふもと、この地は古くから「神畝(かみうね)」と呼ばれています。 そこには二つの大きな「神石(かみいし)」があり、慶長(1596〜1615年)の頃から、村人たちの手によって厳かに「宮座」の神事が受け継がれてきました。 お祭りのときには、村中の人々が皆、この二つの岩に二膳ずつの供え物を捧げたといいます。かつて貴船神社の御神殿はこの付近にありましたが、社が移されたあとも「二つの岩」だけはこの地に残り、村人たちは敬意を込めてここを「元宮跡(もとみやあと)」と呼んでいます。 また、古海氏の霊社のふもとには、古海彦左衛門という人物が祀られています。彼はかつてこの「二つの岩」に腰掛けて、作業にあたる人々(丁夫)に指揮を執ったと伝えられ、その子孫は今も村の中で暮らしています。
文中に「宮座」と見慣れない言葉があったので調べたところ、田川市立図書館/筑豊・田川デジタルアーカイブで「毎年決まった日に村の社に神をもてなす座を設けて決まった供物(くもつ)を献じ、神前において直会(なおらい)を行う祭祀を『宮座』と言います」と説明されていました。
全国的に行われていたのか、それとも福岡県内だけで行われていたのかは不明ですが、北九州市八幡西区東鳴水でも行われていたということ…になるのではと思います。
また、「貴船神社の御神殿はこの付近にありましたが」と書かれているということは、以前は立派な社殿があった可能性も示唆していますし、「古海氏」という名前も気になる点です。
メモ③ 「鳴水」「河頭山」「古海氏」「撥川」…水と海と川
地名や人名、それに場所についても気になるキーワードが関係する神社です。
「鳴水」「河頭山」の「水」、由来書の「古海氏」の「海」、それに撥川がそばを流れています。
メモ④ 古くから祭り(鳴水祇園山笠)が行われていた
調べてみると、この神社では山笠(鳴水祇園山笠)が行われており、古くから続いているという情報を得られました。
神社よりも、まず「祭り」が行われるもののようです。(書籍「神社に秘められた日本史の謎」参考)
起源等詳細は不明ですが、文化3年(1806)屋敷妙見神社の遷宮祭に、鳴水の山笠が出たとの記録があるそうです。一時中止されていた事もありましたが、現在2台の山笠が出ています。
北九州市 時と風の博物館ホームページから引用
屋敷妙見神社の遷宮祭との関連も気になります。
「妙見」はこのサイトで追っている謎のキーワードのひとつなので。

北九州市八幡西区東鳴水 貴船神社の場所
〒806-0051 福岡県北九州市八幡西区東鳴水5丁目3−1
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