宇佐神宮について調べていると、どうしても引っかかってしまう神社があります。
それは、大分県北部から福岡県東部にかけて数多く存在する貴船神社です。
関西で育った自分にとって、貴船神社といえば、京都の山奥にひっそりと鎮座するあの一社でした。
ところが、豊前に移り住んでからというもの、特に宇佐市や中津市を中心としたエリアに、驚くほど多くの貴船神社が存在することを知ります。
歴史に詳しい方に尋ねても、返ってくる答えは決まっていました。
「水に困る土地だったから、京都の貴船神社を勧請したのでしょう」
けれど実際に現地を歩いてみると、すぐ近くに川や水源がある場所にも貴船神社は数多く建っています。
どうも、その説明だけでは納得がいかない。
そう感じて、神社を巡り、資料を探し、少しずつ調べていきました。
調べるうちに気になってきたのは、現在の宇佐神宮周辺一帯が、古代には海や入江だった可能性があるという点です。
いまは広大な平野と社殿が広がるこの場所が、かつては海と陸の境界にあったと考えると、山の中にも点在する貴船神社の存在が、違った意味を帯びて見えてきます。
さらに視野を広げると、福岡県福津市に鎮座する波折神社の縁起が目に留まりました。
そこには、江戸時代の儒学者によって記された記録の中で、貴船神のことが「木船神」として伝えられているのです。
その手がかりが、ムナカタにある。前報で見たように福津市津屋崎の波折神社の主祭神筆頭がセオリ
ツであるが、この神社の縁起を文政七年(1824)福岡藩の儒者青柳種信が書いている。その冒頭に、
「右当社に祭るところの神は瀬織津姫大神 また木船神とも称え申す 住吉大神志賀大神にておわしま
す(以下略)」と書かれている(『津屋崎町史資料編上』の解読文[29]による)。筑前三風土記の一つ『筑
前国続風土記拾遺』を著した種信は福岡藩を代表する国学者で、当時の学者の間では広くその見識
が認められていた。当時国学者の間では、セオリツと木船(貴船)神(=オカミ神)が同神と考えられてい
たらしいのである。むなかた電子博物館 紀要第9号 宗像と宇佐の女神、そして卑弥呼[付編]魏使の邪馬台国への行程 ―宗像神の研究(4)―〈矢田 浩〉p.51 から引用
興味深いのは、その木船神が、瀬織津姫と同一視されている点でした。
水の神、祓いの神として知られる瀬織津姫と、船、そして貴船。
それらが、単なる語感の一致とは思えない形で結びついています。
一般に貴船神社の祭神は、高龗神、闇龗神、そしてミヅハノメノカミとされています。
女神と男神の対として捉える見方もあれば、三柱一体、あるいは三つ巴のような構造を想定する説もあります。
正直なところ、どれが正しいのかを断言できる材料は、今の自分にはありません。
けれど、貴船、水、船、そして瀬織津姫。
「木船」とは、文字通り、木で作られた船のことを指す言葉でもあります。
それが山の中に、神の名として残っていること自体、少し不思議ではありませんか。
これらが、宇佐神宮周辺という「かつて海だった土地」と重なり合って見えてくるとき、いくつかの風景が、少し違って見えてくるのです。
関連記事







