蛭子神社の「蛭子」は「ひるこ」または「えびす」とも呼ばれる意味

北九州市 小倉北区 蛭子神社
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歴史が好きと言っても、知識が足りないと常々に思いますが、今回もです。

北九州市 小倉北区 蛭子神社

先月訪れていた福岡県北九州市の一番の都市「小倉」で見た「蛭子神社」の扁額を見て、気になって調べてみました。

「蛭子神社」は「ひるこ」とも「えびす」とも呼ばれているようです。

それもそのはず、「蛭子(ひるこ)」は、日本の国生み神話に登場する不遇の神で、後に「恵比須(えびす)」として信仰されるようになったと、ネットを調べたら分かりました。

「えびす」という言葉はよく見たり聞いたりする事がある思いますが、その字も様々で「戎」「恵美須」「恵比寿」「恵比須」などがあります。このように親しみのある「えびす」という神様の名前ですが、実は我が国の古典・神々の系譜には、その姿を現していません。八百万の神と称されている我が国の神様ですので、その多くの神様の一人として考えればよいわけですが、これだけ信仰の篤い神様が記紀神話に出てこられないのも不思議なことです。

兵庫・柳原 蛭子神社ホームページから引用

えびす様自体は古事記や日本書紀では語られていないというのですが、こちらの神社の記事で書かれている内容で、特に気になったのは以下です。

「えびす神」の中でも一番古くから語られているのが、『古事記』『日本書紀』の国生みの段に登場するヒルコ(蛭子)の神です。この神は、イザナギ・イザナミの神が日本国土を創世する際に、その御子として生まれましたが、手足の不自由な負具者と描かれ、天磐櫲樟船(あめのいわくすぶね)に乗せられ流されたと記されています。後に、鎌倉時代の『源平盛衰記』には次のような記事が登場します。

蛭子は3年迄足立たぬ尊とておはしければ、天磐樟船に乗せ奉り、大海が原に推し出されて流され給ひしが、摂津の国に流れよりて、海を領する神となりて、戎三郎殿と顕れ給うて、西宮におはします。
すでに鎌倉時代には、このように、ヒルコ神がえびす神という認識がなされていたようです。

兵庫・柳原 蛭子神社ホームページから引用

蛭子というのはよく「手足が萎えた」という表現をされます。

イメージでいえば手足がない_つまり蛇のような姿形をイメージしました。

蛇はよく竜神のルーツとされますが、蛭子(ひるこ)がもし蛇のような形であって竜神ならば。

福岡県のうきは市や

佐賀県嬉野市の豊また神社の片隅に置かれていた「えびす様」が、一本の線でつながりました。

海と竜神。

それに神社のホームページにあった「イザナギ・イザナミの神が日本国土を創世する際に、その御子として生まれましたが、手足の不自由な負具者と描かれ、天磐櫲樟船(あめのいわくすぶね)に乗せられ流されたと記されています」という記述。

一説によると、大和朝廷に対立した側、敗者側や征服された側は、あえて貶められて書かれるそうです。

それでは蛭子が敗者側、征服された側とするならば、筑後エリアに多い、神社の端に置かれたえびす様の石像が意味する存在とは。

嬉野市 豊玉姫神社 石仏

やはり、古代の筑前・筑後エリアに大きな影響を持った海の一族「安曇族」の始祖である安曇磯良ではないかとイメージしました。

そして「天磐櫲樟船(あめのいわくすぶね)」という言葉、「船」というキーワードもこのサイトで追っている「貴船神社」の「船」の謎のキーワードと一致します。

もっとちゃんと古事記を読んだほうがよいのかもしれません。

以前現代語訳を少し読んだものの、意味がさっぱり分からなかったのですが、今回のようにキーワードで紐解けば、また何か分かることがあるかもしれません。

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この記事を書いた人

2021年より豊前市を拠点に活動。
写真と文章で表現と記録の間のようなこと。北部九州を中心に、「山の中の『海』」「宇佐神宮と逆向きの三つ巴紋」など、気づかれにくい痕跡を辿っています。ローカルメディア「豊のくにあと」 と古民家図書館TSUDURIを運営。たまにセミナーやイベント。

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