史跡巡りを続ける中で、ときどき理由のわからない「ひっかかり」に出会うことがあります。
今回、その違和感の中心にあったのが――「菊」でした。
まさかこれにも意味が?

最初のきっかけは、宇佐市下高にある恵比須神社でした。

境内の一角に、小さな石祠があります。
その屋根の中央に刻まれた花の文様。よく見ると、それは菊の花のように見えました。
偶然かもしれない。
けれど、「菊」という意匠がなぜ、ここにあるのか。
そう考え始めたことで、別の場所で見た記憶が次々とつながっていきました。
六郷満山の幻の寺院があった場所

豊後高田市には、六郷満山最大の寺院だったと伝えられる馬城山伝乗寺の跡地があります。
文献では実在が確認できないため、「幻の寺」とも呼ばれていますが、その仏像群は現在、真木大堂で大切に守られています。

馬城山の現在の山頂付近には金毘羅宮が祀られています。
そして、その社の正面に位置する山の名は――喜久山(きくやま)。


市の文化財担当の方に尋ねたところ、
「もし伝乗寺が実在したなら、その信仰の中心はこの山だった可能性が高い」と教えてくださいました。
さらに興味深いのは、この喜久山が、かつて「菊山」と呼ばれていたという点です。
豊後高田市 雷鬼の岩屋古墳近く「海神社」で見た「菊」
同じ豊後高田市内。
雷鬼の岩屋古墳を訪ねた際、近くの海神社にも立ち寄りました。


境内の金毘羅宮のそばに、土に半ば埋もれた古い屋根材があります。
そこに刻まれていたのも――菊の文様でした。

社殿は新しく建て替えられているように見えました。
それでも、なぜ菊の意匠を持つ古い部材が、あえて残されているのか。
馬城山と同じく、ここにも金毘羅宮があることが、気にかかります。
豊後高田市 若宮八幡神社(若宮様)
さらに最近写真を見返して気付いたのですが、同じ豊後高田市内の若宮八幡神社(若宮様)でも、菊が確認できました。

船の祭「ホーランエンヤ」で知られるこの神社では、屋根や扉に、複数の菊の意匠が確認できました。


海、船、金毘羅信仰、そして菊。
これらが同じ地域に重なって存在していることは、偶然なのでしょうか。
菊は何を示しているのか?
菊紋が皇室の正式な紋章として使用が制限されるようになったのは、明治6年(1873)以降のことです。
それ以前、菊の意匠は寺社や装飾として、比較的自由に使われていました。
また、菊の花そのものは奈良時代に中国から伝わり、平安・鎌倉期には貴族や武士にも好まれた植物です。
ここで思い出されるのが、菊理媛(くくりひめ)という女神の名です。
「菊」の字を用いながら、その由来や性格はほとんど記されていません。
菊理媛の名に含まれる「クク」は、木の神である句句廼馳神(くくのちのかみ)と結びつけて解釈されることもあります。
これは定説ではありませんが、「成長する力」「生命が伸びていく勢い」を表す語として説明される例もあります。
もしそうだとすれば、菊・海・金毘羅様・エビス様といった要素が、ある種の信仰の中で重なっていた可能性も考えられます。
断定はできませんが、そう考えると、これまで記録してきた多くの謎が、ひとつの流れとして理解できるようにも思えます。
仮説として、記録する
もちろん、私は歴史の専門家ではありません。
ここに書いていることは、あくまで現地を歩き、見て、「もしかしたら、つながるのではないか」と感じた仮説です。
だからこそ、菊の意匠、右三つ巴紋、エビス像といった形として残っているものを、ひとつずつ記録しています。
これらの記録が、誰かの「研究してみたい」というきっかけになれば――
それだけで、この記録には意味があると思っています。







