恵比寿(エビス)さまという神は、不思議な姿をしている。
釣り竿を持ち、鯛を抱え、笑っている。
けれどその身体の話は、どこか不自然だ。
片足が不自由だとされ、海の彼方から流れ着いたとも語られる。
福の神として親しまれている一方で、その出自はあまりはっきりしない。
その姿を見ていると、別の存在を思い出すことがある。
一本足の存在、夔
中国の古い書物『山海経』には、奇妙な生き物が記されている。
夔(キ)
夔は、一本足の存在だとされる。
山や海の近くに現れ、雷や音と深い関わりを持つ。
その皮は太鼓に用いられ、打てば雷のような音が鳴ると記される。
一つの足で立つ存在。
どこか現実の生き物とは思えないかたち。
それは、人の世界と完全には重ならないものを示しているようにも見える。
山に残る夔神
山梨県には、この夔に由来するとされる神像が伝わっている。
山梨岡神社
〒406-0015 山梨県笛吹市春日居町鎮目1696
そこに伝わる夔神は、一本足の姿で表され、雷除け・魔除けの神として信仰されてきた。
山の神であり、雨乞いとも結びつく存在。
普段は見ることのできない神として、限られた機会にのみ姿を現すという。
山の奥にひっそりと残る、名のはっきりしない存在。
そのあり方は、どこか境界の向こう側にあるものを思わせる。
海から来る神、恵比寿(エビス)さま

一方で、日本の神である恵比寿(エビスさま)もまた、
海と深く結びついた存在である。
漁業の神として祀られ、海の恵みをもたらす神とされる。
しかしその由来には、海の彼方から流れ着いた神であるという伝承も残る。
外から来る神。
完全にはこの土地に属していない存在。
そのあり方は、夔の姿ともどこか重なって見える。
似ているかたち
夔と恵比寿は、まったく異なる文化に属する存在である。
それでも、その特徴を並べてみると、いくつかの共通点が浮かび上がる。
1 片足というかたち
夔は一本足で描かれる。
恵比寿もまた、身体に不自由があったとされる。
完全ではない身体。
それは、人の世界とは異なる存在であることを示しているようにも見える。
2 境界に現れる
夔は山や海の近くに現れる。
恵比寿は海からやってくる。
山と海。
どちらも、こちら側とあちら側の境界にある場所だ。
人の暮らしと、そうでないものが接する場所。
そこに現れる存在は、似た性質を持つのかもしれない。
3 音とともにある
夔は雷や太鼓と結びつく存在である。
その音は、遠くまで響くものとして語られる。
恵比寿は音の神ではない。
けれど、海の神である以上、波や風の音と切り離すことはできない。
姿が見えないとき、存在は音として感じられる。
境界にあるものは、まず音として現れるのかもしれない。
4 外から来るもの
夔は異界の存在として描かれる。
恵比寿は海の向こうから来る神とされる。
どちらも、この土地の内側から生まれた存在というより、外からやってくるものとして語られている。
来訪神という考え方は、日本各地に残っている。
海の向こうに、別の世界があるという感覚。
その境界を越えてくるものは、似た姿で語られるのかもしれない。
「キ」という音
夔という字は「キ」と読む。
その音は、日本語の中でも、どこか特別な響きを持っている。
木。気。霊。
目に見えないものや、かたちを持たないものに関わるとき、「キ」という音が使われることは少なくない。
もちろん、これらを同じものとして語ることはできない。
けれど、音が重なるとき、そこに共通した感覚があるようにも思える。
夔という存在に与えられた「キ」という音もまた、人の世界と重なりきらないものを示すための、ひとつの響きだったのかもしれない。
海を越えるもの
関東の地にも、海から来る神の痕跡が残っている。
鹿島神宮に祀られる神もまた、海の彼方から現れたと語られる存在である。
また、豊前の地で名を残した宇都宮鎮房の一族は、もともと関東から移ってきたとされている。
海を越えて移動する人々とともに、信仰もまた運ばれてきたのだろうか。
山の神と海の神。
異なる場所にあるはずの存在が、似たかたちを持つことも、不思議ではないように思えてくる。
名が変わるとき
恵比寿は、いまでは福の神として知られている。
けれど、もともとはもっと別の姿で語られていた可能性もある。
異形の存在が祀られ、名が与えられ、意味が変わっていく。
夔という名も、恵比寿という名も、名が変わっただけで、その存在は、消えていないのかもしれない。

