宇佐神宮や多くの八幡神社の巴紋と逆向きの「右三つ巴紋」から、読者の情報提供によって「牛頭天王」という別のキーワードがリンクし始めました。

そして牛頭天王から、移住したエリアの山国川沿いの八坂神社で「瀬織津姫」や「龍」と、新しい謎のキーワードがつながっていきます。
気になる場所に行っては小さなヒントを拾い集める地道な繰り返し
歴史に興味があるとはいえ、自分は歴史においては素人のフォトライターです。
それらの謎の点を深く調べようと思っても、限界がありました。
ただ気になる場所に行けば何かヒントが現れるので、ヒントを調べて自力で限界が来たら、また別の場所に行く、その繰り返しでした。
所属している中津市のラジオ局のローカルメディアの事務局から「なぜあんな場所を知っているんですか?」と言われましたが、実はこの謎解き旅が背景にあったのです。
「勝者に消された歴史がある」_古代出雲王国の口頭伝承が伝えられた本を思い出す
実は、私が宗像大社や関連神社を巡っていた移住前の頃、ネットである情報を知りました。
それは、大元出版から出ていた出雲王国の口頭伝承をまとめた本「出雲王国とヤマト政権」に書かれていた内容です。
その本には、宗像三女神やスサノオといった、記紀に登場する神々が、古代、実際に存在した人間であったという伝承が記されていました。
当時、私は「まさかなぁ」と半信半疑で流していたのですが、「牛頭天王」が八坂神社に改称されていたり、「瀬織津姫」が古事記・日本書紀から消された女神と呼ばれていたりする現状を目の当たりにしたとき、あの伝承がもし本当だったら_?と視点が変わり始めました。
私が追っているのは、神話ではなく、古代の人たちの歴史なのではないかと。

自分が見た右三つ巴紋という形は、やはり何かを示しているのかもしれない。
でも歴史の専門家に尋ねても、「さぁ」という反応でしたし、自分でできることは何か?
歴史の素人の自分には文献や史跡を調査して何かしらの判断を下すことはできませんが、何かが変えられていた痕跡を拾い集められると思いました。
そして拾い集めたデータが多ければ多いほど、浮かび上がってくるものではないかと漠然と想像していました。
(連載5につづく)







