【豊のくにあと歴史の謎:連載5】右三つ巴紋を頼りに「消された」「変えられた」跡を拾い集めていくと新たな謎につながっていく

右三つ巴紋を頼りに「消された」「変えられた」跡を拾い集めていくと新たな謎につながっていく
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謎の追跡が順調だったわけではありません。

むしろ、謎について意識していない頃からの「よく分からないけど気になる」小さな謎がバラバラに見つかるだけでした。

それが右三つ巴紋を見つけることで、拾い集めた「何でもないピース」が少しずつながっていき、予想もしなかった発見につながることになったのです。

目次

【豊のくにあと歴史の謎:連載5】歴史の素人なので「消された」「変えられた」跡を探すことにした

歴史の専門家からも「さあ、分かりません」といわれた「右三つ巴紋」の謎。

自力で調べるしかありませんが、自分は歴史の素人。できることは限られます。

現実的に可能なことといえば、何かが「変わった」痕跡を調べることはできそうだと考えました。

神社仏閣の歴史を調べていくうちに、神社名や御祭神が変えられたり、消されたりした史跡があることに気付いたからです。特に「明治時代」の前後でです。

それについては書籍「神社に秘められた日本史の謎」で、神社の御祭神や社名が明治維新で変えられたことは事実であることが確認できました。

明治時代は古代以来の神仏習合が廃止された「神仏分離」が行われた時代です。

明治天皇を初代天皇神武の再来として、祭祀と政治を一致させるために、神道を仏教の影響を受ける前の本来の形に戻すことが目的だったと書籍には書かれていました。

目的はどうであれ、神社の御祭神や社名が明治時代前後の時期に変えられたことは確かなようです。

「何」が「どう」変えられたのか、前後のデータを集めたら何らかの法則が見つかるかもしれないと考えました。

「祇園社」から「八坂社」に改称、御祭神も「牛頭天王」から「素戔嗚」に変えられた

また、書籍「神社に秘められた日本史の謎」によると、神仏分離によって、京都の「祇園社」が、地名から「八坂社」に改称され、御祭神も「牛頭天王」から「素戔嗚命」に変えられたそうです。

書籍では他にも、祇園社は全国に勧請されて、その名は「天王社」であったと伝えていました。

そして「八坂神社」や「八雲神社」に改称され、御祭神が「素戔嗚尊」と改められたことが書かれていました。

しかし連載2でお伝えした、読者からの情報提供によれば、牛頭天王社から明治時代に「高尾神社」と改称された神社もありましたので、全ての祇園社や天王社が「八坂神社」や「八雲神社」に変えられたわけではない…ということでしょうか。

書籍ではまた「今日の神社の多くは、明治の神仏分離によって祭神が変更されていて、現行の社号や祭神としての歴史は、意外に浅いのである」と述べられていました。

明治時代の前後で多くの神社で社名や御祭神の変更があったのは、事実。

それは理解できましたが、ではなぜ「滝ノ宮牛頭天王」の「滝(瀬織津姫)」まで消されたのかが謎として残りました。

右三つ巴紋を見つけた「国東半島」で、消された「滝」の痕跡を追って二つの謎が発生

国東半島の北端で見つけた「右三つ巴紋」と、読者の情報提供で得られた「牛頭天王」のヒント、その牛頭天王と共に消されたように思えた「瀬織津姫」をキーにして瀬織津姫と宇佐神宮について調べてみたら、ある論文が見つかったことは、連載3の記事でお伝えしました。

その次に、「瀬織津姫」と「国東半島」で調べてみることにしました。

ネットで調べてみると、国東半島と瀬織津姫に関する多くの記事を発信するブログがすぐに見つかりました。

そのブログの情報で、瀬織津姫について詳しく書かれている書籍があることを知り、購入してみました。

購入した本は「円空と瀬織津姫 北辺の神との対話」(著:菊池 展明)。

その本の中で特に気になったことが二点ありました。

一つは、国東半島の「身濯神社」の祭神・八十猛津日神が、実は「瀬織津姫」の異名であるということ。

そしてもう一つ。

瀬織津姫は、皇室の祖先であり日本人の総氏神とされる「天照大御神(アマテラス)」の荒魂(あらみたま)として伊勢神宮に祀られるほどの存在でありながら、そもそも「天照大御神は男神であった」という説です。

国東半島と宇佐神宮の関係とは

国東半島と宇佐神宮は、「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」という日本の宗教文化の源流として深く結びついています。

宇佐神宮は全国の八幡宮の総本宮で、八幡信仰と仏教が融合した「神仏習合」発祥の地であり、その影響を受けた天台宗寺院群「六郷満山(ろくごうまんざん)」が国東半島に広がり、半島の宗教・文化の基盤を形成しました。

その国東半島の身濯神社は、天台宗寺院群「六郷満山」の寺院と共に(神仏習合)祀られていた神社です。

瀬織津姫=天照大神の荒魂であり、天照大神が男神という情報

そして天照大神といえば現在の日本人なら、ほぼ知っている日本の代表的な御祭神のはずですが、その荒魂とは?

一般的に荒魂(あらみたま)とは、神の霊魂の持つ『荒々しく活動的な側面』を指すとされています。
勇猛な力を持つ一方で、正しく祀ることで強力な厄除けや万物成就の力に転じる、いわば神のエネルギーの源泉のような存在です。

いわば表裏一体の存在であるなら、瀬織津姫とは大変大きな存在であるといえます。

その瀬織津姫とイコールである天照大神が女神ではなく、男神という情報。

変えられた跡を追っていくと、新たな謎につながっていった

歴史の素人の自分が判断つくことといえば、ある時点で変わったこと、変えられたことを確認していくことでした。

右三つ巴紋や、見つけた場所をヒントに情報を追っていくと、思わぬ謎につながっていきました。

不思議なことに他の謎につながり続け、最後には思わぬ足跡につながっていたことが分かりましたが、この時はそれが何なのか、ほぼ見えていませんでした。

(連載6につづく)

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    (連載中)
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この記事を書いた人

2021年に豊前市へ移住。フォトライターとして、主に福岡県の豊前市・上毛町・吉富町・築上町・みやこ町・行橋市・苅田町、および大分県の中津市・宇佐市・豊後高田市・国東市といった旧・豊の国エリアを活動範囲としています。
カメラを持ってフラッと6時間のカメラ旅に出かけ、このエリアの史跡、神楽、祭りなどを記録し、「日常を離れた歴史の世界」の魅力を発信するほか、古民家図書館を運営。

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