豊後高田市内最大の古墳「真玉大塚古墳」敷地内の「致斎神社(旧:貴布祢神社)」へ

豊後高田市内最大の古墳「真玉大塚古墳」敷地内の「致斎神社(旧:貴布祢神社)」へ
  • URLをコピーしました!
目次

行きたかった古墳と神社へ

行きたいと思っていた史跡にようやく行くことができました。

その史跡とは、国東半島の西側に位置する「豊後高田市」にあります。

市内最大の古墳といわれる、前方後円墳「真玉大塚古墳」の敷地内にある「致斎神社」です。

真玉大塚古墳の上に創建された神社は元々は「貴布祢神社」と表記されていたそうです。

なぜか大分県北部と福岡県東部に多い貴船神社。

山頂にストーンサークルが立ち並ぶという猪群山が、この古墳からはよく見えます。

建物など遮るものさえなければ、中津市の八面山や宇佐の山々が見える場所でもありました。

真玉大塚古墳-東側の道から見る古墳
真玉大塚古墳 東側の道から見る古墳
真玉大塚古墳-東側の道から南東に見える国東半島の山-左は猪群山だろうか
真玉大塚古墳 東側の道から南東に見える国東半島の山 左は猪群山だろうか
木陰で休憩中だった野良猫
木陰で休憩中だった野良猫 邪魔してしまった
真玉大塚古墳の東側の道を南に進むと石灯籠や五輪塔が残る交差点があり-そこを右折すると古墳の入口方面へ
真玉大塚古墳の東側の道を南に進むと石灯籠や五輪塔が残る交差点があり、そこを右折すると古墳の入口方面へ
のどかな細い道を歩いていると-左側に小屋-右側に鳥居が見えてくる
のどかな細い道を歩いていると、左側に小屋、右側に鳥居が見えてくる
致斎神社の鳥居には-大明神-と扁額に刻まれていた
致斎神社の鳥居には「大明神」と扁額に刻まれていた
溝にはまだ水がたたえらえれていた
溝にはまだ水がたたえらえれていた
大木の根元には石造物
大木の根元には石造物
石の祠の向こうには拝殿
石の祠の向こうには拝殿
豊後高田市内最大の古墳「真玉大塚古墳」敷地内の「致斎神社(旧:貴布祢神社)」へ
致斎神社の拝殿、奥には本殿
本殿の脇には珍しい狛犬
本殿の脇には珍しい狛犬

真玉大塚古墳とは

真玉大塚古墳-致斎神社-看板
真玉大塚古墳(致斎神社) 看板

真玉大塚古墳(豊後高田市指定史跡)

指定年月日 昭和52年1月12日
宇佐・国東は先史時代より、九州における海上交通の要衝であり、豊後高田市の海岸線には、約4kmにわたり5世紀から6世紀にかけての首長墓を中心とした古墳群があります。

真玉大塚古墳は、旧海岸線から30mほど離れた位置に築造された5世紀中頃の前方後円墳です。

平成6年からの調査により、墳長は100mを越え、二重の周濠を持つことが明らかになりました。しかもこの周濠を持つ県内唯一の前方後円墳です。

真玉大塚古墳は主体部が確認されていません。

しかも残念なことに、前方部では神社建設により大きく削平を受けています。

後円部でも土取りにより、激しく損壊をし、墳丘全体が、畑地、果樹園として利用されていたため古墳の形状が変化しています。
周濠の中からは、円筒の埴輪が出土しているほか、葺石も検出されており、海上からの眺望の意識した古墳が造られたと考えられています。
これまで、副葬品は確認されていませんが、昭和9年の神社新築の際に鉄刀が大量に出土したと伝えられています。

豊後高田市教育委員会

看板より

真玉大塚古墳・致斎神社の場所

〒872-1105 大分県豊後高田市西真玉

  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

ぶぜんノートのアバター ぶぜんノート フォトライター

豊のくにあと運営者。
福岡県と大分県の県境エリアで活動しているフォトライターです。
活動エリアは、北九州から東〜中津〜宇佐〜国東半島の北西部。
地域の古い痕跡を歩いて探し、歴史サイト「豊のくにあと」を運営しています。

古民家図書館TSUDURI主宰。
本や地域、人が出会う場所。

気になったもの

神社や地域を歩き、調べるなかで気になったものを記録しています。
右三つ巴紋、鬼、菊、御祭神など気になったものをまとめたページはこちらから。

考察について

当サイトでは、現地での観察や文献資料をもとに、歴史について考察しています。

記事には、確認できた事実のほか、複数の事例から見えてきたことや、現時点では確かめられていない仮説も含まれます。

事実と考察を区別しながら記録していますが、すべての仮説が歴史的に裏付けられているわけではありません。

ひとつの視点、ひとつの問いとしてお読みいただければ幸いです。

目次