豊後高田市の田染地区にある「三の宮の景」。
以前、田染を訪れたとき、食事をしたレストラン兼観光案内所で、元ガイドの方から「景色がいいですよ」と教えてもらいました。
それなら行ってみよう。

そう思って向かった先で、三宮八幡社を見つけました。

せっかくなので立ち寄ってみると、拝殿の屋根に三つ巴の紋が刻まれていました。

右三つ巴です。
私は以前から、豊前・豊後を歩きながら、三つ巴の紋を気にして見ています。
このときも写真を撮っておきました。
もう一つ、右三つ巴を見つけていた
そういえば、その少し前。

近くの菊山の麓にある真木大堂でも、鐘撞堂に右三つ巴紋がありました。
三宮八幡社。
真木大堂。
どちらも田染の同じエリアです。
もしかしたら、このあたりには、ほかにも右三つ巴があるのではないだろうか。
そんなことを考えるようになりました。
そこで、周辺の神社を少し調べてみることにしました。
元宮八幡社を調べてみたら
調べていて気になったのが、元宮八幡社です。
すると、日本遺産のホームページに、こんな説明がありました。
元宮八幡神社は、田染荘に勧請された宇佐神宮の別宮の1つで、田染荘の発展を見守ってきた神社である。拝殿に飾られる大絵馬は、3つに分かれた田染八幡社の神輿を集めて、鎧ヶ淵に浮かべることで神の怒りを誘い、雨を降らせるという「川勧請」を描いたものである。雨の少ない国東半島に伝わる究極の雨乞いの方法である。昭和2年の川勧請の記憶を紐解けば、神輿の隊列を先導したのは岩脇寺の鬼達であったとされている。修正鬼会の他でも、鬼達は度々村人を幸せに導いていたのである。
日本遺産 鬼が仏になった里「くにさき」から引用
元宮八幡神社は、田染荘に勧請された宇佐神宮の別宮の一つだというのです。
「あれ?」と思いました。
宇佐神宮の別宮。
これは、以前から私が気になっていたことでした。
かなり前に豊後高田市の別宮八幡社を調べたとき、
「養老年間(717年〜724年)に国東半島に設けたとされる、宇佐神宮の5つの別宮の一つ」
という説明を見つけたことがあります。
養老年間(717年〜724年)に国東半島に設けたとされる、宇佐神宮の5つの別宮の一つで、現存する4つの別宮の中でも随一の規模を誇ります。
毎年7月29日、30日に行われる「オンバレ」と呼ばれる御田植え祭は有名な行事となっているそうです。
豊後高田市公式観光サイト から引用
さらに、そこには「現存する4つの別宮の中でも随一の規模」とありました。
では、その4つはどこなのだろう。
気になって、以前、歴史の専門家の方にも尋ねてみました。
けれど、それ以上は分からないとのことでした。
私の中では、そこで一度、行き止まりになっていた話です。
田染に、別宮がいくつもある
ところが今回、田染の元宮八幡社を調べたことで、その話がまた動き始めました。
さらに二宮八幡社について調べてみると、こちらも宇佐神宮の別宮の一つとされています。
二宮八幡神社
田染郷に3つに分けて勧進された宇佐神宮の別宮の1つ。小崎村・間戸村・横嶺村の3ヶ村の鎮守として信仰されてきました。 安山岩製の石造仁王像は、像高が2mを超える大作で、付近の田染石工によって造られたものと推定されます。市指定有形文化財となっています。
千年の時を刻む荘園遺跡田染荘(たしぶのしょう)から引用
そして、元宮八幡社についての資料を読んでいると、元宮から二宮・三宮へと分祀されたという話が出てきました。
つまり、現在の田染には、
元宮八幡社
二宮八幡社
三宮八幡社
という三つの八幡社がある。
そして、それぞれが「宇佐神宮の別宮」として説明されている。
ただし、ここはまだ慎重に見ておきたいところです。
以前調べた「国東半島に設けられた5つの別宮」という話は、養老年間のこと。
一方、元宮から二宮・三宮へ分祀されたという話は、もっと後の時代のようです。
だから、今回見つかった三社が、そのまま古い「5つの別宮」のうちの三つだとは、まだ言えません。
思いがけないところで
最初は、右三つ巴が気になっただけでした。
三宮八幡社で一つ。
近くの真木大堂でも一つ。
このあたりに、ほかにもあるのだろうか。
そう思って神社を調べていただけでした。
それなのに、調べているうちに、以前は行き止まりになっていた「宇佐神宮の5つの別宮」という話に、思いがけずぶつかりました。
まだ、何かが分かったわけではありません。
5つの別宮がどこなのかも、まだ分かりません。
でも、少なくとも田染には、元宮・二宮・三宮という三つの八幡社があり、宇佐神宮との関係を示す記録が残っている。
これは、少し気になります。
次に田染へ行ったら、右三つ巴だけでなく、この三つの八幡社も実際に見てみようと思います。
以前はそこで止まっていたものが、思いがけないところから、もう一度動き始めました。
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