中津・上祇園のルーツを歩いて見えてきた「大江天富宮」の謎

大江八幡神社
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少し前、古い「下毛郡誌」を読んでいて、大江八幡宮(八幡大江神社)の古い由緒に目が留まりました。

大江八幡宮は、中津祇園の上祇園が行われた元の神社といわれています。

そこには、現在の八幡大江神社は、もともと「麻殖天富神社」と称していたと記されています。

由緒によれば、忌部氏の祖神である天富命が筑紫の豊国に麻を植えたことから、この地は「麻殖(おえ)」と呼ばれるようになり、嘉祥3年(850年)には神託によって「麻殖天富神社」が創建されました。

その後、中世に八幡神を合わせ祀るようになり、「大家八幡宮(大江八幡宮)」と呼ばれるようになったと伝えられています。

「大江」と「天富」は、この地域では古くから結び付いた名前だったのでしょうか。

忌部氏とは、古代ヤマト王権において宮廷の祭祀(さいし)・神宝の製作・宮殿造営などを担った氏族です。

中臣氏(なかとみうじ)とともに二大祭祀氏族とされましたが、のちに政治的な権力争いから中臣氏に実権を奪われました。

中臣氏の痕跡が中津にあることは知っていたのですが、忌部氏の痕跡があったことは知りませんでした。

蛎瀬八坂神社の石祠

実は「大江」という字を、少し離れた蛎瀬八坂神社で見つけていたのです。

大江天冨宮

こちらの鳥居に「大江本宮」と刻まれていました。

「大江」という地名について、もっと調べてみたいと思いました。

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豊のくにあと運営者。
福岡県と大分県の県境エリアで活動しているフォトライターです。
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