今年の5月の連休に、初めて福岡市の志賀海神社を訪れました。

子どもがもっと小さい頃に志賀島を一周したのが最後だったと記憶しています。
そして志賀海神社には行ったことがありませんでした。
鳥居の手前に御塩井(清め塩)

駐車場を降りて、鳥居に向かうと、鳥居の手前に何かが置かれていました。

「御塩井(清め塩)」と書かれています。
神社の手水、砂バージョンということでしょうか。
石段をのぼった先に末社「山之神社」

鳥居の先は、石段が続きます。

石段をのぼりきると、鳥居と小さな社が見えてきました。

色褪せた看板には「山之神社(やまのかみ)」と書かれていました。
御祭神は大山津見神。
海のそばの山の神。
山之神社から神門へ

末社の山之神社に向かって右へ向くと、石段の上に神門が見えました。

神門の手前には通れない橋。
社門の手前に「印鑰社」の名残?

神門の手前に古そうな賽銭箱がありました。
宇佐神宮と同じ左三つ巴紋です。

お賽銭箱に立てかけられていたのは「印鑰社(いんやくしゃ)」の看板です。
御祭神は久那土神、天磐楠船神、迦具土神。
久那土神は道祖神の原型とされる神。
天磐楠船神は調べてみて、一致する神が見当たりませんでしたが、「天」「磐」「楠」「船」と個人的に気になる字が入っています。
迦具土神は「かぐつちのかみ」と呼ぶのなら「火」の神でしょうか。土の字が入っていますが。
また、字がかすれて見えにくいのですが、「不勿来社」「船玉社」「愛宕社」の3社が、雁の巣にあった航空隊の奉安殿移築とともに合祀された社だそうです。
「社」は別の場所にあるのでしょうか。

印鑰社といえば、最近調べた高良大社の末社が思い浮かびました。
御祭神は武内宿禰公と菅原道真でした。

社門手前の石灯籠です。

笠の蕨手がオレンジ色です。
鉄分が含まれているのでしょうか。
志賀海神社 拝殿

志賀海神社の社殿です。

志賀海神社 略記
左殿
仲津綿津見神
御祭神 中殿
底津綿津見神
右殿
表津綿津見神
御由緒
古来、玄界灘に臨む交通の要衝として聖域視されていた志賀島に鎮座し、「龍の都」「海神の総本社」と称えられ、海の守護神として篤く信仰されている。
御祭神は、伊邪那岐命が筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原において禊祓(ミソギハラヒ)をされた際に、住吉三神と共に御出現された綿津見三神で、神裔阿曇族によって奉斎されている。
御祭神が、禊祓で御出現された神であることから不浄を特に嫌い、諸々の穢・厄災・罪を祓い清め、また、海の主宰神であることから水と塩を支配し、私達の生活の豊凶をも左右する御神威を顕現されている。
当社の創建は明らかではないが、古来、勝馬の地に表津宮 ・中津宮・沖津宮の三社で奉斎されていた。二世紀(遅くとも 四世紀)に表津宮(底津綿津見神)が当地勝山に遷座、併せて仲津綿津見神・表津綿津見神が奉祀されたと伝えられ
住時の社殿は壮麗で、末社三七五社、社領五十石を有し、奉仕する者も百数十名いたなど繁栄を極めた。社伝には神功皇后の伝説を多く残し、元寇の役など国家の非常の際に嚇々たる御神威を顕示されたことから、社格も貞観元年(八五九年)従五位上、『延喜式』には明神大社、大正十 五年(一九二七年)には官幣小社の珠遇をうけている。
御例祭 御神幸祭 十月第二日曜日前後(隔年斎行) 土祭 十月第二月曜日(流鏑馬奉納)
特殊神事 步射祭、御神幸祭、山誉(種蒔)漁猟祭 (福岡県無形民俗文化財)
略記によると「御祭神は、伊邪那岐命が筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原において禊祓(ミソギハラヒ)をされた際に、住吉三神と共に御出現された綿津見三神」なのですが。
ここが気になりました。
この日、志賀海神社に来る前、博多区の住吉神社にも足を運んでいて、同じようで、でも違う記述を見たからです。

それは住吉神社の摂社「天津神社」がある天竜池の看板でした。
「その昔、満潮時には塩原の辺りまで海の水がさかのぼり、この池にも達しておりましたので、
一名、汐入池とも呼ばれ、伊弉諾大神が禊祓をした霊池と伝えられます。」
伊弉諾大神が禊祓をした場所は、博多にもあったということなのか。
なお、志賀海神社略記の「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」とは現在の宮崎県宮崎市、阿波岐原の広大な松林にある江田神社あたりと考えられているようです。
鹿角庫(ろくかくこ)

気になっていた「鹿角庫」。

鹿角庫
古代、神功皇后が三韓出兵の際、戦勝祈願として対馬で鹿狩りを行い、無事に三韓平定された後、狩った鹿の角を当神社に奉納し戦勝と航海安全の奉告祭を斎行したことが奉納の始まりと伝えられている。
戦国時代には多くの戦国大名が御神威を賜ろうと鹿の角を奉納し、遠くは加賀藩より奉納されたという記録が神社の古文書に残っている。この奉納は先の大戦前まで続き角の本数は一万本を超える。
何故鹿の角を奉納されたかは定かではないが鹿の角は、割り鉤や銛、薬や武具の装飾等、様々なものに使用され、貴重なものであったため、奉納されたのではないかと推測される。
また、当神社で斎行される山誉漁猟祭では、鹿を狩る場面があり、そこから山を荒らす鹿を狩ることで山が豊かになり、その栄養が川を伝い、海に流れ海も豊かになるため御祭神の綿津見三神がお喜びになられると思われたのではないかと推測される。
山誉漁猟祭(4月15日・11月15日)
古い時代から奉納され続けた鹿の角は、1万本を超えるといいます。

阿曇族、鹿、海、山。
山が豊かになれば、海が豊かになる。
古代の人たちにとっても、山と海は同一線上にあったのかもしれませんね。
亀石

鹿角庫の先の海側に、気になる鳥居を発見。


亀石 遥拝所
その昔、神功皇后が三韓へ出兵される際、正面対岸の打昇浜にある亀ヶ池・亀栖池の辺りにて無事凱旋できるよう阿曇磯良丸を通じ祈願され、七日七夜のお神楽を奏されました
すると黄金雌雄の亀に乗った志賀明神と勝馬明神が御出現され皇后へ干珠満珠の玉を授け、船の舵と航路を守り導いたと伝えられ黄金焼雄の亀は亀ヶ池・亀栖池に放たれましたが、後に石となって現在の金印公園近くに現われ、寛文十年(一六七一)四月十一日に社前に納められました
遥拝所は右斜の対岸の大嶽神社・小嶽神社と 正面真東の伊勢の神宮、宮中三殿等を拝します
神功皇后と阿曇磯良丸、気になる情報です。
この看板に書かれている池、神社など、詳しく調べたくなりました。
志賀海神社の摂末社

敷地の端に小さな社が並んでいました。
末社 惣社

末社 惣社
御祭神 八百萬神
往時に祀られていた三七五社余りの末社を合祀した社
「かつて祀られていた375社余りの末社を合祀した社」。
どんな神様が祀られていたのかは分かりませんが、数としてはかなり多い気がします。
末社 大神宮社

末社 大神宮社
御祭神 天照大御神・豊受大神
御神徳 国土安泰・開運・衣食住守護
末社 祇園社

末社 祇園社
御祭神 建速須佐之男神
御神徳 疫病除け・事業繁栄
末社 荒神社

末社 荒神社
御祭神 奥津比古神・奥津比売神・火産霊神
御神徳 竈神・農作物守護・邪霊除け

白い壁の建物…特に看板などはありません。
末社 磯崎社

末社 磯崎社
御祭神 少名彦神
御神徳 婦人病をはじめとする病気平癒
ふと目がとまります。
少彦名神の御神徳が「婦人病をはじめとする病気平癒」と書かれていますが、「婦人病」といえば想起したのは「粟島神社」です。
「磯崎社」も少名彦神が祀られていることに、少し引っかかりました。
末社 松尾社

摂社 松尾社
御祭神 大山咋神
御神徳 酒の神 酒造酒飲店の繁栄
末社 秋葉社

末社 秋葉社
御祭神 火之迦具土神
御神徳 鎮火・防火・除災招福
末社 熊四郎稲荷社

末社 熊四郎稲荷社
御祭神 宇迦之御魂神
御神徳 商売繁盛・五穀豊穣
摂社 今宮神社

摂社 今宮神社
御祭神 宇都志日金拆命・住吉三神・天兒屋根命・阿曇磯良丸命(この先字がかすれて読めませんでした)
御神徳 盗難除け、航海船舶の安全、出世開運、合格
御由緒 「古事記に此の三柱の綿津見神は同連等が祖神ともちいつく神なり。かれ、阿曇連等は、その綿津見の神の子 宇都志日金拆命の子孫なり」と記され、綿津見三神を奉釈するのは、宇都志金拆命の子孫である阿曇家となっている
当社は代々阿曇家が宮司を奉職しており、阿曇の祖神である宇都志金拆命は綿津見三神に仕える者の祖神として奉祀されている
また、神功皇后三韓出兵の際に出現された阿曇磯良丸命は、当地龍宮より干珠満珠を借り賜って海上指揮に仕えたと伝えられる
宇都志金拆命とは、私が初めて見る御祭神名です。
調べてみると、信濃国との関わりなど興味深い情報を見つけました。

別の記事で掘り下げて書いてみようと思います。
おわりに

国東半島の北端で見つけた、宇佐神宮と逆向きの右三つ巴紋。
それから海、安曇磯良を追って、ようやく志賀海神社に来ることができました。
左三つ巴紋は宇佐神宮と同じ向き。
私が気になっている北部九州と瀬戸内海を結ぶ三角形のエリアです。


辿れば辿るほど、ヒントが見つかるようです。



