皇祖神になる前の太陽神をめぐって。
豊前市に移住してから、神社や史跡を巡りながら、
「なぜ、ここにこの神が祀られているのだろう」
そんな疑問を持つことが増えた。
調べていくうちに気づいたのは、神社の名前や祭神が、明治時代に大きく変えられている例が非常に多いことだった。
それは、特定の神が“正しくなかった”からではなく、当時の制度や国家の方針に合わせて、意味づけが整理され直された結果なのだろう。
天照大神は、最初から皇室の神だったのか
国立歴史民俗博物館名誉教授・新谷尚紀氏監修
『神社に秘められた日本史の謎』には、興味深い記述がある。
奈良時代になるまでは、天照大神を皇室で祀っていなかったと考えられている
太陽神崇拝は、天皇家に限らず、日本各地で行われていた
ここで語られている太陽神は、
皇祖神としての「アマテラス」ではなく、自然神としての太陽神「アマテル」だ。
太陽そのもの、光や恵みとしての存在。
それは、特定の一族のものではなく、各地で当たり前のように祀られていた神だった。
伊勢神宮にも、土着のアマテルがいた?
同書ではさらに、
- 元々伊勢にも土着の太陽神信仰があった
- その神に、後から皇祖神としての性格が与えられた
- その結果、「天照大神」として再構成された
という流れが示されている。
つまり、
アマテル(自然神)
→ アマテラス(皇祖神)
という変化が、伊勢の地で起きた可能性があるということだ。
私が追っている「紀伊の神」との違和感のなさ
ここで、個人的な話になる。
私がこれまでフィールドワークで追ってきた紀伊国周辺の神々も、
- 神名が揺れている
- 祭神が後から変えられている
- 伊勢、藤原氏、修験、海人と関係が深い
- 明治期に整理・再編された痕跡が濃い
そうした特徴を持っていた。
伊勢の土着のアマテルと、紀伊国に残る古い神々。
両者は、同じ系統の信仰圏にあったとしても、不思議ではないように思える。
「同じ神」ではなく、「同じ型の神」
ここで注意したいのは、「同一神だった」と言い切ることではない。
アマテルという名前自体が、
- 固有名詞というより
- 太陽の働きや性質を表す呼び名
だった可能性が高い。
伊勢のアマテル、紀伊のアマテル、各地の「日神」「日子」「日女」。
それらは、一柱の神が全国にいたのではなく、同じ性質を持つ神が各地にいたと考えるほうが自然だろう。
皇祖神アマテラスは、その中の一系統を、国家神話として固定した姿なのかもしれない。
紀伊という土地が持つ、古層の気配
紀伊国は、
- 山と海が近く
- 水と霧が多く
- 修験や死生観が色濃く残る土地
政治的に整理される以前の信仰が、今も地形や神社の配置に残りやすい場所だ。
伊勢と紀伊が、同じ古層の信仰を共有していたとしても、おかしくはない気がする。
まだ名前を奪われていない神を追う
私は、この仮説を証明したいわけではない。
ただ、
- なぜこの神がここにいるのか
- なぜ後から意味が変えられたのか
- なぜ消された名前があるのか
その痕跡を、現地を歩きながら拾っているだけだ。
伊勢のアマテルと、紀伊の神々。
熊野と、瀬戸内海、北部九州ををつなぐ点。
その間に、まだ整理されきっていない信仰の影がある。
このエリアを見続けていたら、また何か分かるかもしれない。

