【調査ノート】豊前市の二塚神社から、みやこ町の二塚地区の八雷神社の情報を辿ってみた

no image 豊のくにあと
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先日アップした記事「豊前市下河内の清原神事に関わる二塚神社に残る『一対』_『猿田彦大神』と『天鈿女命』」で、「二塚」というキーワードが一致する神社を、同じく福岡県内みやこ町で見つけました。

二塚地区の八雷神社です。

地区名が一致する場所にある「八雷神社」。

これまで他の場所で二つの八雷神社に行ったことはありますが、こちらはまだでした。

この記事では調査ノートとして、メモ代わりに記録を残します。

目次

福岡県神社誌で二塚地区の「八雷神社」の情報を確認

村八雷神社
京都郡永村大字 二塚字門明
祭神 大雷神、火雷神、 稚雷神、 土雷神、 黑雷神、 山 雷神、野雷神、裂雷神、八坂入姫命
由緒 當八雷神社は推古天皇十五年神託に依りて當村より西南に當りて字宮坂に申所に地を開きて神殿 一宇を造営し二塚長木村の神なりしが中古長木村は毘沙門の森と云ふ所に遷座し是を以て爾社に相分れ其後諏訪神社の社地只今の宮地に遷座し相殿に祭る。元祿七甲戌再建す藩主小笠原氏より寄附等も有り且又新築は都て郡中より執營す。明治六年七月九日村社に定めらる。
例祭日 五月一日、二日
主なる建造物殿、幣殿、拝殿
境内坪數百三十坪
氏子區域及戶數 二塚 三十八戶
境内神社 水神社 (罔象女命、大山祇神)

現代語訳

村社(そんしゃ) 八雷神社(はちらいじんじゃ)

【所在地】 京都郡みやこ町大字二塚 字門明

【祀られている神様】
八柱の雷神(大雷神・火雷神・稚雷神・土雷神・黒雷神・山雷神・野雷神・裂雷神)と、八坂入姫命(やさかいりひめのみこと)。

【神社の成り立ち(由緒)】

創建: 推古天皇15年(西暦607年)、神様からのお告げによって、村の南西にある「宮坂」という場所を切り開き、神殿を建てたのが始まりです。もともとは二塚村と長木村、両方の村の神様でした。

分社と移転: その後、長木村の神様は「毘沙門の森」へと移されたため、二つの神社に分かれました。さらにその後、現在地(もともと諏訪神社があった場所)へと移転し、一緒に祀られるようになりました。

歴史的背景: 元禄7年(1694年)に再建されました。当時の小笠原藩主から寄付があったほか、新築の際は郡全体で工事を行うなど、地域からの厚い崇敬を受けていました。明治6年には正式に「村社」に指定されました。

【祭礼日】 5月1日、2日
【主な建物】 本殿、幣殿、拝殿
【境内の広さ】 130坪
【氏子(守っている地域と家数)】 二塚地区 38軒
【境内にある別の神社】 水神社(水の神様と山の神様)

もともとは二塚村と長木村、両方の村の神様…

そもそも「塚」という意味は色々な意味を持ちます。

お墓としての「塚」(古墳・埋葬地)、境界や目印としての「塚」、「鎮魂と封印」のための「塚」。

その意味について思いを馳せると、「かつては荒ぶっていた雷神たちが、塚に祀られることでようやく安らかな眠りについた姿」を浮かべてしまいます。

そして特筆すべきは御祭神のうちの一柱である「八坂入姫命」。

八坂入姫命は景行天皇の后であると伝えられ、このみやこ町で「八坂入姫命」といえば、綾塚古墳が浮かぶのです。

八雷神社(二塚地区)の地図・アクセス

〒824-0067 福岡県行橋市二塚298

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福岡県の東の端っこで、写真と文章を綴る人。
2021年に移住。フォトライターとして取材・インタビューを重ねる傍ら、このメディアを運営し、ZINEを制作・販売しています。
拠点は、古民家を借りて開いた小さな図書館。
Webも、リアルな場所も両方を媒体にして、このエリアのことを記録しています。

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