古墳が多い、みやこ町
大変古墳の数が多い、みやこ町。
GoogleMapを眺めると、「そこら中」にあると言っても過言ではありません。
福岡県は実は奈良県より古墳の数が多いそうですが、福岡県内においては行橋市や苅田町、そしてみやこ町が古墳が多いエリアのようです。
今年に入って一度行ってみようと向かったのは、みやこ町勝山黒田にある「綾塚古墳」です。
綾塚古墳へ

綾塚古墳(Ayatsuka Tumulus)
綾塚古墳は、7世紀前半頃につくられた直径約40mの円墳です。花崗岩の巨石を積み上げて構築された石室(遺体を埋葬するための施設)は、全長約19mを測り、当時の点t脳や後続の陵墓とみられている古墳の石室と同じ規模であることから、国内でも稀に見る横穴式石室として広く知られています。玄室(遺体をおさめる施設)には、京築地域で唯一の家形石棺が安置されています。石棺は、みやこ町やその近辺では採取できない「デイサイト質凝灰岩」という加工に適した石材が用いられており、蓋には6箇所に縄を掛けるための突起が掘り出されています。
また17世紀のはじめ頃、初代 小倉藩主、細川忠興(ほそかわただおき)の家臣がこの石棺を割り、小倉に運ぼうとしたところ、数々の災害が起きたため元に戻したと伝えられています。これ以降、石棺は信仰の対象となり、現在まで地域の人々によって大切に守られてきました。
みやこ町教育委員会

移住した豊前市から車で約40分ほど、「綾塚古墳駐車場」に到着しました。

整備された駐車場を降りると、古墳への標識が出ていました。

駐車場から標識の方角を見ると、それらしき土の盛り上がりと鳥居が見えたので、歩いて向かっていきます。

車両は侵入禁止なんですね。

歩いていくと、古墳の入口がはっきり見えてきました。

花が咲いている木もあり、古墳周囲にはベンチもありました。

鳥居をくぐると、すぐに古墳の入口。

鳥居をくぐり、奥に進みます。


古墳の前の鳥居の扁額には「女帝神社」と刻まれていました。
なぜ「女帝神社」なのか調べてみると、今は無くなった由緒書きに、以下のように書かれていたようです。
綾塚古墳
福岡県京都郡勝山町大字黒田字綾塚
昭和四十八年四月十四日国指定史跡
この古墳は、約1300年以前の六〜七世紀頃に築造されたものであり、直径が四一メートルの二段築成の墳丘と幅四・五メートル余りの周濠のある円墳で、丘陵の先端部を利用して築造されています。
羨道、入口から玄室の奥まで約二一メートルあり、巨岩を使った玄室には、縦一・三メートル、横二・七メートル、幅一・七メートルの大型石棺が納められています。
この石棺には、屋根型の石蓋があり、慶長年間に国主、細川忠興の家臣等が、石棺に内蔵すると思はれる財物を小倉に送致しようとして石蓋を毀損したため種々の災害が起り、元の状態に戻したと伝えられています。
又、この石棺は、大分県九重山から運ばれ古墳築造の過程で安置されたものと推定されています。この古墳は地元では、綾塚の郷屋と呼ばれており、景行天皇の妃、八坂入姫命(やさかいりひめのみこと)を祭り、女帝窟又は女帝権現綾塚神社と称していましたが、明治二十四年に女帝神社と改められました。綾塚古墳については、本居宣長も紹介しており、全国的にも希れにみる雄大な横穴石室を持っている点で極めて貴重な史蹟であり、毎年全国から多くの見学者が訪れています。
平成元年三月
勝山町教育委員会
石棺の中の財宝を殿様に送ろうと、細川忠興の家臣が蓋を割って、数々の災害が起こったとありますが、その石棺が「大分県九重山から運ばれ古墳築造の過程で安置されたものと推定」。
新たな由緒書きには無かった情報です。

この古墳に埋葬されたのは景行天皇の妃「八坂入姫命」であると伝わります。
だいぶ後で知ったことですが、みやこ町二塚の八雷神社にも「八坂入姫命」が祀られているそうです。

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