豊前市下河内の清原神事に関わる二塚神社に残る「一対」_「猿田彦大神」と「天鈿女命」

豊前市下河内の清原神事に関わる二塚神社に残る「一対」_「猿田彦大神」と「天鈿女命」
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清原神事について調べていたら見つけた小さな神社の情報

先日、知っている小さな神社の御祭神が「猿田彦大神」と「天鈿女命」であることを知りました。

その小さな神社とは、豊前市下河内の「二塚神社」です。

豊前市で春に行われる「清原神事」について調べたら、豊前市のウェブサイトで興味深い情報が見つかったのです。

豊前市のウェブサイトで伝えられる「清原神事」

豊前市のウェブサイトで、以下のとおり清原神事について説明があります。

豊前市では4月~5月に神幸祭と呼ばれる春祭が地域で行われます。

その特徴は神幸行列と呼ばれる祭礼の形です。

神輿とそれに従う傘鉾という和傘に太鼓を組み合わせたものが中心となり、神社からお旅所と呼ばれる場所まで行列を組んで神様が巡行します。

そのうち、嘯吹八幡神社の神幸祭がこの「清原神事」で、3基の神輿と傘鉾が2日間かけて地域を巡行します。

またお旅所である清原神事場で奉納される湯立神楽は古式に遡った古の風情が必見です。

この2日かけて行われるまつりの1日目に、二塚神社の記載がありました。

第一日目(土曜日)
まず朝早く八尋ヶ浜で次官が塩汲みをします。午前中9時から山内が住城の大山祇神社に巡行し(3年に一度)午後2時頃には神社に戻ります。午後3時から3基の神輿と傘鉾を中心とした神幸行列が御旅所である清原神事場を目指します。行列の構成は次官(塩筒)、高幣(たかべい)、鉾面(鬼面の赤、青)、幣台(お上りは子ども会)を先頭に傘鉾・神輿、傘鉾・神輿、傘鉾・神輿、の順に続き氏子はそれぞれ山内、大木・為国・中組、四ツ口・合原の組み合わせで傘鉾と神輿を担ぎます。神輿の順番は山内だけが決まっていてお上りは2番目、お下りは1番目とされ、他はその年で違うようです。以前はこの後に神馬役・神官車・神官車が続いていました。また、高幣と鉾面は毎年地区の役員が交代で務めています。こうして約200人の氏子がそれぞれの神輿と傘鉾を受け持つことになります。途中須佐神社でお神輿を鎮め、午後八時頃には清原神事場に到着し、入り口の二塚神社(猿田彦命、天鈿女命)で祭典を行った後、神事場に入ります。最後に神輿を浮殿に収納した後にお着きの神楽が舞われ、初日の行事が終了します。

以前は宇佐神宮から刀を携えた54人の警護役が派遣されてきたといいますが、今は次官が御旅所に泊まって守護しています。 

「途中須佐神社でお神輿を鎮め、午後八時頃には清原神事場に到着し、入り口の二塚神社(猿田彦命、天鈿女命)で祭典を行った後、神事場に入ります。」

第二日目(日曜日)
午前11時30分から山内神楽講によりお立ちの湯立神楽が奉納され、同じルートでお下りが行なわれます。午後8時頃には嘯吹八幡神社に戻り、神殿に神輿を納め全ての行事が終了します。拝殿では遅くまで神楽が奉納され、祭神の帰還を祝います。

巡行の途中では決められた場所でそれぞれの神輿が高く天に掲げられ、また、氏子によって激しく回転させて雄姿を競います。

豊前市下河内 二塚神社

二塚神社はこの写真の右端の、さらに右側に位置します。

左端に見える二本の石柱(注連柱)の先が、「お旅所」です。

お旅所の一部かと思っていたのですが、別に神社としての名前があり、勇壮ともいえる清原神事に関わる神社であったことは、驚きでした。

お旅所(おたびしょ)とは、神社の祭礼(神幸祭)で神体や神輿(みこし)が本社から氏子区域を巡行する途中、あるいは目的地において、仮に神を安置(休憩・宿泊)する場所のことです。別名「旅の宮」「仮宮」「頓宮(とんぐう)」とも呼ばれ、通常は祭事の際に神を迎え入れて祭りを行う場所を指すそうです。
私は豊前市に移住して、始めてこの言葉を知りましたよ。

豊前市下河内の清原神事に関わる二塚神社に残る「一対」_「猿田彦大神」と「天鈿女命」
豊前市下河内の清原神事に関わる二塚神社に残る「一対」_「猿田彦大神」と「天鈿女命」
豊前市下河内の清原神事に関わる二塚神社に残る「一対」_「猿田彦大神」と「天鈿女命」

福岡県神社誌で「二塚神社」の情報を確認したら、見当たらず

由緒書きの看板がない神社を調べるには、福岡県神社誌。

しかし今回の「二塚神社」はどうもそれらしき情報が見当たりません。

「築上郡」にも「由緒付無各社」の項目にも。

豊前市役所のウェブサイトに豊前市の神社一覧ページがあるのですが、そちらにも「二塚神社」の記述はありません。

豊前市内に残る「一対」の痕跡として記録

実は豊前市内には、「猿田彦大神」と「天鈿女命」以外の一対が残っています。

豊前市の千手観音堂に残る「一対」、男天狗と女天狗

千手観音堂

豊前市の「千手観音堂(旧泉水寺)」です。

千手観音堂は、国指定重要文化財である平安時代後期の「木造千手観音立像」を祀るお堂です。

母乳の出が良くなるという「乳の観音」の伝承を持ち、今も霊水が湧き出る神秘的な場所でもあります。

その場所には「男天狗」と「女天狗」という岩場があったと、以前豊前に住んでいた方から情報提供がありました。

そして、豊前市の水神社で祀られていたと思われる「水の女神(ミヅハノメノカミ)」と「牛頭天王(スサノオ)」など、気になる「一対」の存在にしばしば出くわします。

私はこのエリアを巡ってきて、この旧・豊の国エリアにおける「一対」とは、本当は、名前こそ違えど同じ根源を持つ存在なのではないか。

そう思いながら史跡を巡っています。

「二塚」という言葉にヒントがないか調べたところ、行橋市の八雷神社が二塚という地区にあるようでした。こちらの神社を調べたら何か分かるかも?

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この記事を書いた人

ぶぜんノートのアバター ぶぜんノート フォトライター

福岡県の東の端っこで、写真と文章を綴る人。
2021年に移住。フォトライターとして取材・インタビューを重ねる傍ら、このメディアを運営し、ZINEを制作・販売しています。
拠点は、古民家を借りて開いた小さな図書館。
Webも、リアルな場所も両方を媒体にして、このエリアのことを記録しています。

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