【調査ノート】福岡県春日市岡本 奴国の中心と想定されている「国指定史跡 須玖岡本遺跡」に位置する「熊野神社」に右三つ巴紋?

右三つ巴紋
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宇佐神宮や多くの八幡神社と違う向きの三つ巴紋「右三つ巴紋」を国東半島の北端で見つけて以来、なぜ向きが違う三つ巴紋があるのかと調べています。

【宇佐市下庄】貴船神社の神楽奉納で右三つ巴紋を見つけた。
宇佐市貴船神社(下庄)の右三つ巴紋

歴史の専門家に尋ねても「さぁ、考えたこともありませんね」との回答でしたが、自力で調べていくうちに、やはり意味があるのでは?と思いを強くしています。

右三つ巴紋の神社を沢山調べたり、分布図でも作ればもっと色々なことが分かるんじゃないかと調べ続けているのですが、すぐに全てに出向くのはなかなか難しい状態です。

すぐに行けなくても「いつか見に行きたい気になる神社」として、調べたことをメモ代わりに記事化しています。

目次

福岡県春日市岡本 熊野神社のGoogleMapの画像で右三つ巴紋を確認

以前、右三つ巴紋がある神社を探した時、福岡市以西でよく見つかる気がしていました。

そこで古墳があるエリアや、このメディアで追っているキーワードとつながる神社を調べていたら、右三つ巴紋がある神社を確認できました。

この春日市岡本の「熊本神社」でも右三つ巴紋が見つかりました。

右三つ巴紋が確認できた箇所

このメディアで追っているのは、古代の古層の信仰です。

九州北部が大和朝廷の勢力下になる前、別の大きな勢力があり、その痕跡を追っています。

福岡県神社誌参考

参考:福岡県神社誌

■ 神社の始まりと本殿の建立

  • 1449~1451年(宝徳年間): 岡本の地を選んだ先人たちが、自分たちの祖神(先祖の神様)を祀ったのが始まりだといわれています。
  • 1615~1623年(元和年間): 清三郎、清四郎、金六、大作という4名の先人が、現在の形となる本殿を建立した記録があります。
  • 1712年(正徳2年): 社殿を再建。その際、屋根の重要な梁である「萬歳棟(ばんざいむね)」に、これまでの由緒が記録され、保存されることになりました(吉村家古文書より)。

■ 文献に残る江戸時代の姿

  • 1686年(貞和5年): 須玖(すぐ)村の清五郎という人物が、珍しい「土製の狛犬」一対を奉納したと記されています(『筑陽記』)。
  • 1705年(安永2年/元禄元年): 文献には「熊野権現社は須玖村の枝村である岡本にある」との記述が見られます。
  • 1790年代(寛政年間): この頃には、神殿や拝殿、鳥居が整っており、近隣の8軒の家々によって守られていました。また、興味深いことに、百姓の和作という人物が「矛(ほこ)を鋳造するための型」となる石を掘り出したという記録も残っています(『筑前国風土記拾遺』)。

■ 地域の人々と神社の絆

  • 1815年(文化12年): 庄屋の武末種安による「神額」の奉納や、石灯籠の奉納が相次ぎました。
  • 幕末(文化~文久年間): 岡本、野添、新村といった地域の人々の産土神(守り神)として崇められ、博多の天野氏によって祭礼が司られていたようです。当時の祭神は、伊弉諾尊(イザナギ)と伊弉冉尊(イザナミ)とされていました。

■ 明治から現代へ

  • 明治時代: 『福岡県地理全誌』などにも「岡本の産神」として記載され、変わらず9月7日に祭礼が行われていたことが分かります。

メモ① 日本の地名の中で最も古い記録「奴国」の中心だったエリアにある神社

日本の地名の中で最も古い記録とされているのは「奴国(なこく)」です。それは、後漢書(ごかんじょ)の中に「光武帝(こうぶてい)が、建武中元(けんぶちゅうげん)2年(西暦57年)に朝賀(ちょうが)してきた奴国の使者に印綬(いんじゅ)(金印・漢委奴国王(かんのわのなのこくおう))を賜った」という記事があるからです。この奴国は、現在の春日市を含めた福岡平野一帯を占めていたとされ、後に儺県(なのあがた)、那津(なのつ) 、さらに那珂郡の「那珂」に引き継がれてきたとされています。

春日市ウェブサイトから引用

この熊野神社は、金印で有名な奴国の中心と想定されている「国指定史跡 須玖岡本遺跡」内にある神社です。

ここで右三つ巴紋が確認できたことは、とても大きな意味を感じます。

メモ② 神社がある春日市の由来

春日の地名は春日神社に由来します。「筑前国続風土記」の「春日神社」の項には、「春日村にあり。村の名前も此神社あるによりて名つけたり」と書かれています。
社記によれば、39代天智天皇が、斉明天皇の皇太子として長津の宮にあるとき、この地に天児屋根命(あめのこやねのみこと)のヒモロギ(神が宿るところ)をおかれたのが始まりとされています。そして768年、大宰府の藤原氏が、天児屋根命を祭る大和(現在の奈良県)の春日大名神を、このヒモロギの地に迎えたのが、今日の春日神社の創建とされています。

春日市ウェブサイトから引用

「39代天智天皇が、斉明天皇の皇太子として長津の宮にあるとき、この地に天児屋根命(あめのこやねのみこと)のヒモロギ(神が宿るところ)をおかれたのが始まり」とあるように、春日神社ができる前に「ヒモロギ」がまず先。

その後に大和から春日大明神が勧請されたようです。

福岡県春日市岡本 熊野神社の場所

〒816-0861 福岡県春日市岡本2丁目92

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この記事を書いた人

2021年に豊前市へ移住。フォトライターとして、主に福岡県の豊前市・上毛町・吉富町・築上町・みやこ町・行橋市・苅田町、および大分県の中津市・宇佐市・豊後高田市・国東市といった旧・豊の国エリアを活動範囲としています。
カメラを持ってフラッと6時間のカメラ旅に出かけ、このエリアの史跡、神楽、祭りなどを記録し、「日常を離れた歴史の世界」の魅力を発信するほか、古民家図書館を運営。

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