山を歩いていると、ときどき「なぜ、ここに?」と思うものがあります。
私の場合、その一つが、山の中にあるため池です。
ため池というと、平野や農地の近くにあるものを思い浮かべます。
ところが、中津や国東半島を歩いていると、山の斜面や、比較的高い場所に水をたたえた池を見かけることがあります。
水は低いところへ流れるもの。
だからこそ、
「なぜ、こんな場所に水を溜めたのだろう?」
と気になりました。
今回は、北部九州で私が見つけた山の中のため池について、記録しておきます。
山の上に水を溜めるということ
ため池は、雨などで得られる水を一時的に蓄え、必要なときに利用するためにつくられてきました。
農業用水として使われてきたものも多く、日本各地に数多くのため池があります。
古い時代の農業にとって、水をどう確保するかは大きな問題だったはずです。
雨が少ない時期には、川の水だけでは足りないこともある。
そう考えると、
「高い場所に水を溜めておけば、そこから下へ水を流すことができる」
という発想そのものは、自然なものだったのかもしれません。
ただし、目の前にある池がいつ、誰によって、何のためにつくられたものなのか。
それは、池を見ただけでは分かりません。
古い時代にも、ため池はあった
日本には、古代までさかのぼるとされるため池もあります。
大阪の狭山池は、その代表的な例の一つです。
古代につくられた大規模なため池で、堤にはさまざまな土木技術が用いられていたことが発掘調査から分かっています。
「山の上に池がある」というだけで、すぐに古代のものだと考えることはできません。
けれど、古い時代にも、人は水を蓄えるための大きな土木施設をつくっていた。
そのことを知ってから、山の中に残る池が少し気になるようになりました。
「古代の池」かは分からない
北部九州には古代からさまざまな人や技術が行き交っていたことが知られています。
水利や治水についても、古代の土木技術を考えるうえで興味深い地域です。
ですが、池の築造年代を確認できる資料がなければ、古代のものとは言えません。
地形や周辺の水田、用水路、集落との位置関係を見なければ分からないこともあるでしょう。
だから今はシンプルに「山の中にあるため池」として見ておこうと思います。
実際に見つけた池
これまでに、私が気になった場所の一つが、国東半島・豊後高田市の応利山周辺です。
応利山を下っていると、麓に向かって右手にため池が見えました。
山を歩いたあとだったので、「こんなところに池があるんだ」と、少し意外に感じたのを覚えています。
ただ、この池について、現時点で私が確認できているのは、そこに池があったということです。
築造年代や、いつから使われている池なのかまでは、まだ調べ切れていません。
八面山の「大池」
もう一つ気になっているのが、中津市の八面山にある大池です。
八面山には何度も訪れています。
箭山神社の上宮にも行きました。
けれど、大池はまだ実際に見ていません。
もし行くことができたら、池の位置はどこなのか、周囲の地形はどうなっているのか、水はどこから来て、どこへ流れていくのか。
そういうところから見ていきたいと思っています。
山の中に残る「水」を見てみる
山の中にあるため池を見ると、「なぜ、ここにつくったのだろう?」という疑問が生まれます。
その疑問から、古代の水利や土木技術を調べてみたいと思いました。
もしかすると近世以降につくられた池かもしれない。
何度も改修されて、現在の姿になったのかもしれない。
あるいは、まだ知らない別の理由があるのかもしれない。
今のところ私が持っているのは、「山の中に、ため池がある。なぜだろう?」という問いです。
八面山の大池にも、いずれ行ってみたいと思います。
実際に見てみたら、今考えていることとはまったく違うものが見えてくるかもしれません。
そのときは、またここに記録を追加します。

