高野山造営に関わる豪族丹生氏の氏神「丹生明神」像が三谷薬師堂に残されていた

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タイトルのままですが、備忘録がわりにつぶやいておきます。

「高野山造営に関わる豪族丹生氏の氏神 『丹生明神』像が三谷薬師堂に残されていた」

明神とは明治の神仏分離の前には一般的だった、仏教と神道が混じった信仰対象の名前…という理解です。

はっきりと神道に分けられると、信仰対象の特徴や性別が分からなくなったのですが、神仏分離前はこのように像として残っていることから、それらがはっきりとして伝わりやすかったのでしょうね。

そして薬師堂というところがまた、私が追っている謎のキーワードにまたもやつながるのです。

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この記事を書いた人

2021年より豊前市を拠点に活動。
写真と文章で表現と記録の間のようなこと。北部九州を中心に、「山の中の『海』」「宇佐神宮と逆向きの三つ巴紋」など、気づかれにくい痕跡を辿っています。ローカルメディア「豊のくにあと」 と古民家図書館TSUDURIを運営。たまにセミナーやイベント。

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