私は本州で育ち、現在は北部九州に住んでいます。
身近に古い神社が少なかったせいか、北部九州にある古い神社はとても興味深く感じられます。

特に気になったのが、鳥居の前にある二本の石の柱です。





多くの神社で見かけるのに、その正体についてははっきりとした説明がありません。
本を調べても、明確な答えにはたどり着けませんでした。
そんなとき、ネットで気になる記述を見つけました。
「鳥居が現在の形になる前は、二本の柱だけの門だった時代がある」
もしこれが事実なら、神社の二本の石柱は、古い鳥居の名残なのかもしれません。
実際、鳥居の起源はよく分かっていませんが、一般的には 「神域と俗世を分けるための結界」 だといわれています。
そう考えると、二本の柱だけで構成された門が、かつて神域を示していたとしても不思議ではありません。

また、以前訪れた 豊前市の求菩提山(くぼてさん) では、「構(かまえ)の石門」と呼ばれる巨大な石の門を見ました。
これは、山の神域と里を分ける結界の役割を果たしていたそうです。
もしかすると、神社の石の柱も同じような役割を持っていたのではないでしょうか。
ある神社の宮司さんが、珍しい社殿のピンク色に対してテレビのリポーターに「なぜこの色なんですか?」と尋ねられると
「意味は分かりませんが、神社にあるものは、なるべく色も形も変えず、昔のまま残すようにしています」
と答えていました。
つまり、今ではその意味が分からなくなってしまったとしても、それが重要なものとして受け継がれている可能性があります。
身近にある神社にも、まだ解明されていない歴史の痕跡がたくさん残っているのかもしれません。
私は歴史の専門家ではありませんが、こうした小さな気づきが、いつか誰かの発見につながるかもしれない。
そう思いながら、今日も神社を巡り、謎を追い続けています。