神社の鳥居の前にある「二本の石柱」の謎

神社の鳥居の前にある「二本の石柱」の謎
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私は本州で育ち、現在は北部九州に住んでいます。

身近に古い神社が少なかったせいか、北部九州にある古い神社はとても興味深く感じられます。

大分県中津市本耶馬渓町 毛蕨神社の鳥居の前の石の柱
大分県中津市本耶馬渓町 毛蕨神社の鳥居の前の石の柱

特に気になったのが、鳥居の前にある二本の石の柱です。

福岡県豊前市大村 甲神社
福岡県豊前市大村 甲神社
福岡県豊前市八屋 菅原神社
福岡県豊前市八屋 菅原神社
福岡県豊前市沓川 沓川神社
福岡県豊前市沓川 沓川神社
福岡県行橋市蓑島 菅原神社
福岡県行橋市蓑島 菅原神社
福岡県福津市 宮地嶽神社
福岡県福津市 宮地嶽神社

多くの神社で見かけるのに、その正体についてははっきりとした説明がありません。

本を調べても、明確な答えにはたどり着けませんでした。

そんなとき、ネットで気になる記述を見つけました。

「鳥居が現在の形になる前は、二本の柱だけの門だった時代がある」

もしこれが事実なら、神社の二本の石柱は、古い鳥居の名残なのかもしれません。

実際、鳥居の起源はよく分かっていませんが、一般的には 「神域と俗世を分けるための結界」 だといわれています。

そう考えると、二本の柱だけで構成された門が、かつて神域を示していたとしても不思議ではありません。

豊前市求菩提山 構の石門
豊前市求菩提山 構の石門

また、以前訪れた 豊前市の求菩提山(くぼてさん) では、「構(かまえ)の石門」と呼ばれる巨大な石の門を見ました。

これは、山の神域と里を分ける結界の役割を果たしていたそうです。

もしかすると、神社の石の柱も同じような役割を持っていたのではないでしょうか。

ある神社の宮司さんが、珍しい社殿のピンク色に対してテレビのリポーターに「なぜこの色なんですか?」と尋ねられると

「意味は分かりませんが、神社にあるものは、なるべく色も形も変えず、昔のまま残すようにしています」

と答えていました。

つまり、今ではその意味が分からなくなってしまったとしても、それが重要なものとして受け継がれている可能性があります。

身近にある神社にも、まだ解明されていない歴史の痕跡がたくさん残っているのかもしれません。

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この記事を書いた人

2021年に豊前市へ移住。フォトライターとして、主に福岡県の豊前市・上毛町・吉富町・築上町・みやこ町・行橋市・苅田町、および大分県の中津市・宇佐市・豊後高田市・国東市といった旧・豊の国エリアを活動範囲としています。
カメラを持ってフラッと6時間のカメラ旅に出かけ、このエリアの史跡、神楽、祭りなどを記録し、「日常を離れた歴史の世界」の魅力を発信するほか、古民家図書館を運営。

地域の宝を守るために。金色妙見宮の歴史継承プロジェクト(12/10まで)

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