親しみ深い「こんぴらさん」こと金毘羅様は、「海の神様」という一般的なイメージに加え、特定の地域では「風と雲を司る神様」としての古くからの神格を持っていたことがわかっています。

今回は、さらに、金刀比羅宮の主祭神である大物主神(おおものぬしのかみ)、そして日本の古代史において謎多き存在とされる饒速日命(にぎはやひのみこと)との繋がりについて考察します。
金刀比羅宮の主祭神「大物主神」とは
「こんぴらさん」の名で親しまれている金刀比羅宮(ことひらぐう)は、香川県琴平山の山腹に鎮座し、その主たる御祭神は大物主神です。
金刀比羅宮の由緒によれば、古くから大物主神を祀る神社であり、中古には本地垂迹説(神仏習合の思想)の影響を受け「金毘羅大権現」と改称された歴史があります。
「〝こんぴらさん〟の名で親しまれている金刀比羅宮(ことひらぐう)の御本宮は、琴平山(別名「象頭山」)の中腹に鎮まります。
小西可春編「玉藻集(たまもしゅう)」七巻本〔延宝5年(1677)〕の「讃陽名所物産記 第二」には「此山に鎮座三千歳に及と云々。」とあります。「金毘羅山名所圖會」〔文化年間(1804-1818)〕には「金毘羅大権現當山に御鎮座事は、遠く神代よりの事にして、幾百萬年といふ事をしらす。」とあります。
初め大物主神を祀(まつ)り、往古は〝琴平神社〟と称しました。
中古、本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)の影響を受け、「金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)」と改称し、永万元年(1165)に相殿に崇徳天皇(すとくてんのう)を合祀しました。
(金刀比羅宮 | 由緒から引用)
大物主神は、『古事記』では大国主神(おおくにぬしのかみ)の幸魂奇魂(さきみたま・くしみたま)として登場し、国造りにおいて重要な役割を果たした神です。また、奈良の三輪山(みわやま)の神としても知られ、蛇神(じゃしん)の性格を持つとされています。
大物主神と饒速日命の繋がりを考察
この大物主神が、古代史における重要な神である饒速日命と同一視される特定の説が存在します。
饒速日命の「空の神」としての性格
饒速日命は、『日本書紀』などに登場する神で、天磐船(あまのいわふね)に乗って空から大和の地に降臨したと伝わっています。この降臨伝承から、彼は「空の神様」としての性格を持つと解釈されます。
金毘羅様が持つ「風と雲」を司る神としての性格と、「空の神」である饒速日命が同一神であるという仮説を重ね合わせると、両者が天候や天空といった要素で繋がる関係性が見えてきます。
饒速日命と物部氏、そして妙見信仰
饒速日命は、古代の有力豪族である物部氏(もののべし)の祖神(そしん)とされています。
この物部氏の信仰構造が、金毘羅信仰のルーツを考察する上で重要です。
物部氏が深く信仰していたのが、妙見信仰(みょうけんしんこう)に繋がる星辰信仰(星や天体への信仰)です。
妙見信仰は、北極星・北斗七星を神格化した「妙見菩薩(みょうけんぼさつ)」を本尊とします。北極星は、常に空の中心に位置することから、「宇宙の支配者」としての性格を持ちます。
空から降臨した饒速日命が、星辰信仰と関連の深い物部氏の祖神であるという事実は、非常に理にかなった関係性と言えるでしょう。
古代信仰の複雑な構造
金毘羅様(大物主神)=饒速日命という説が成り立つならば、金毘羅信仰の根底には、以下のような複数の要素が複雑に絡み合っていた可能性が考察されます。
風と雲を司る気象神としての性格
星を信仰する妙見信仰(星辰信仰)
古代豪族・物部氏の祖神信仰
『古事記』や『日本書紀』といった正史は、特定の意図を持って記述が「整理」された部分があると言われています。しかし、神社に残る御祭神や伝承、そして社紋や地名といった「点」を拾い集め、繋がりを考察していくことで、歴史の空白とされてきた部分に光を当てることができるかもしれません。
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