【豊のくにあと歴史の謎:連載2】移住した旧豊前エリアで浮かび上がるいくつもの謎。つながるようで、つながらない右三つ巴紋がやはり鍵か

移住した旧豊前エリアで浮かび上がるいくつもの謎。つながるようで、つながらない右三つ巴紋がやはり鍵か
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前回の記事で、近畿地方で子供時代を過ごした私の原風景から、広島・北九州と西へと移動し、最後は福岡県の東の端にある豊前市へ移住し、歴史の謎を追う足がかりとなった「右三つ巴紋」の遭遇までをお伝えしていました。

この記事では右三つ巴紋を認識した以後、つながるようでつながらなかった歴史の謎の足跡をお伝えします。

目次

宇佐神宮と逆向きの右三つ巴紋には何か意味が?少ない手がかりに行き詰まる

宇佐神宮の左三つ巴紋

かつて宇佐神宮と縁深い六郷満山寺院が栄えた国東半島の北端にある小さな「伊美崎社」が示していた「右三つ巴紋」と白山神社の御祭神「菊理媛命」から、宇佐神宮と違う向きの三つ巴紋には何か意味があるのでは?と調べるようになりました。

しかしGoogleやSNSで調べてみても、なかなかこれという情報は見つかりませんでした。

以前の自分と同様、三つ巴紋の向きの違いを意識していない人がほとんどなのか、キーワードでの検索をしてもほとんどヒットしなかったのです。

なのでまずは、宇佐神宮との関わりを調べ、伊美崎社の近くにある別宮八幡社に行ってみました。

豊後高田市の別宮八幡社は、豊後高田市公式観光サイトによれば「養老年間(717年〜724年)に国東半島に設けたとされる、宇佐神宮の5つの別宮の一つで、現存する4つの別宮の中でも随一の規模を誇ります。」という情報が書かれていました。

「別宮八幡社はかつて海の中にあった神社と伝わっているんですよ」と、神社をお世話していた女性が教えてくれました。

かつて海の中にあった八幡社-豊後高田市-別宮八幡社-沈んだ大岩
かつてかつては地表に出ていた大岩。海の水を含んだ土の柔らかさで沈んでしまった海の名残

神社の中を見ると左三つ巴紋もありましたが、江戸時代末期に建造されたとされる大きな楼門の柱には「右三つ巴紋」が見つかりました。

海の中にあった八幡社-豊後高田市-別宮八幡社-に三つ巴紋
大分県豊後高田市 別宮八幡神社

江戸時代の楼門は右三つ巴紋_しかし神社内には左三つ巴紋のものもありました。

その後他の史跡に行った時も同様に、左と右が混じっていることはありました。

豊前市 岩清水八幡神社の石碑
豊前市岩清水八幡神社 石碑だけ右三つ巴紋

それ以外では、コツコツGoogleMapなどで一つ一つの神社の写真を確認していました。

その時の肌感覚では、福岡市から西側に右三つ巴紋を持つ神社が多かったように感じました。

しかし理由は全く分かりませんでした。

そのほか福岡県の筑後川エリアの「正八幡宮」は右三つ巴紋の神社が多いという情報もありましたが、詳細は不明でした。

【宇佐市下庄】貴船神社の神楽奉納で右三つ巴紋を見つけた。
大分県宇佐市下庄 貴船神社 伊呂波川そば

また、右か左かを意識していることで、偶然右三つ巴紋を見つけることもありました。

こちらの右三つ巴紋の画像は、私が神楽を見に行こうと足を運んだ宇佐市の貴船神社(下庄)で、祭りの時にだけ見られる幕です。

やはり右三つ巴紋には何か意味があるかもしれない、探せばもっと他にもあるかもしれない、でも一つ一つ探していくにはそこまで時間はないとジレンマを感じていました。

歴史の専門家や詳しい人からも「さぁ、考えたこともない」「職人が間違ったのでは?」

歴史の専門家や詳しい人にも右三つ巴紋について尋ねてみたところ、「さぁ、考えたこともない」「右と左があるなら単に職人が間違ったのでは?」という回答が複数名から返ってきました。

歴史の専門家にとって、右か左かは通常範囲の誤差だったのかもしれません。

しかし元プログラマーの自分にとって「なぜ違うのか」は大きな誤差であり、異常値でした。

「この違いは大きいのでは?」と自分で調べ続けていました。

宇佐八幡宮大楽寺
宇佐八幡宮大楽寺 左三つ巴紋と右三つ巴紋

史跡によっては、右と左、両方ある場合も複数見つかりましたし、右三つ巴紋の神社を探そうにも、記事として書いている人が少なく、SNSでもあまり数が見当たりません。

GoogleMapで各神社の投稿画像を確認するにしても、なかなか作業は進みませんでした。

四国の愛媛県の神社をよく知るという人からの情報「右三つ巴紋の向きには意味がある」

史跡巡りの写真のバックアップのつもりで立ち上げたこのウェブサイトにも、右三つ巴紋の謎の記事を出していたところ、その記事を読んだ方から情報提供がありました。

愛媛県の氷見という町の古い社家をよく知る方からで、その社家が祀る神社の社紋も右三つ巴紋であり、ご先祖から「絶対に巴紋の向きを変えてはならない」と伝わっていたそうです。

右三つ巴紋の神社は宇佐八幡宮からの勧請というのですが、現在の宇佐八幡宮は左三つ巴紋です。

宇佐八幡宮の巴紋が右三つ巴紋だった時代があったということでしょうか…?

今はデータとして少なくても、気になる情報です。

そしてその社家が守る神社がもう一つあり、通常高龗神が祀られることが多い「高尾神社」という神社名であるのに「牛頭天王」を祀っているというのです。

また、その二つの神社は中央構造線上に建っているとも。

なぜ中央構造線上に?こちらも意味があるのでしょうか。

追っていた右三つ巴紋から、さらに謎が加わっていきました。

右三つ巴紋の謎を追っているうちに得た別の謎を追って

「牛頭天王」「高尾神社」「中央構造線」、それ以外にも謎が後でつながることに_。

この記事を書くために、以前の情報を確認していたら、この時の読者からの情報で現れた謎のキーワドが後につながっていたことが分かりました。

でもこの時点ではまだまだそのつながりは見えていなかったのです。

まさか、ここで全部つながっていたとは思いも寄りませんでした。

この後自分は「牛頭天王」「高尾神社」について調べていくことになります。

(豊のくにあと歴史の謎:連載3につづく)

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右三つ巴紋の謎を深堀り↓

日本最古の龍神が祀られる神社の社紋が右三つ巴紋↓

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この記事を書いた人

2021年に豊前市へ移住。フォトライターとして、主に福岡県の豊前市・上毛町・吉富町・築上町・みやこ町・行橋市・苅田町、および大分県の中津市・宇佐市・豊後高田市・国東市といった旧・豊の国エリアを活動範囲としています。
カメラを持ってフラッと6時間のカメラ旅に出かけ、このエリアの史跡、神楽、祭りなどを記録し、「日常を離れた歴史の世界」の魅力を発信するほか、古民家図書館を運営。

地域の宝を守るために。大分県中津市 金色妙見宮の歴史継承プロジェクト(12/10まで)

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