宇佐神宮や多くの八幡神社と違う向きの三つ巴紋「右三つ巴紋」を国東半島の北端で見つけて以来、なぜ向きが違う三つ巴紋があるのかと調べています。

歴史の専門家に尋ねても「さぁ、考えたこともありませんね」との回答でしたが、自力で調べていくうちに、やはり意味があるのでは?と思いを強くしています。

右三つ巴紋の神社を沢山調べたり、分布図でも作ればもっと色々なことが分かるんじゃないかと調べ続けているのですが、すぐに全てに出向くのはなかなか難しい状態です。
すぐに行けなくても「いつか見に行きたい気になる神社」として、調べたことをメモ代わりに記事化しています。
福岡市西区今津 四所神社のGoogleMapの画像で右三つ巴紋を確認
以前、右三つ巴紋がある神社を探した時、福岡市以西でよく見つかる気がしていました。
そこでGoogleMapで、このサイトで追っているキーワードの一つ「熊野」のつく熊野神社を探してみると、右三つ巴紋を確認できたので、他の神社も調べてみたら、また見つけられました。

右三つ巴紋があるということは、このメディアで追っているキーワードとの関連が予想されました。
ただし、拝殿の幕は左三つ巴紋でした。
神社によっては、左と右、両方の向きの右三つ巴紋がある場所の多いのですが、このメディアでは「右」が残っていることを重要視していること、それにメディアで追っているキーワードのひとつ「海」のそばであることから、メモがわりに記事として残しておきます。
メモ①:四所神社の看板の情報
祭神
四所神社
天照大神 住吉大神
八幡大神 春日大神
祭日 正月二日・七月二十九日・九月九日・九月二十八日
由緒
筑前風土記によれば村の東浜崎の民家の西に向ひて四所大明神の社あり、此処は異国船の来たり集ひ
し所なれば鎮守のために勧請せしにやとある。神功皇后三韓征伐の御皈陣の折、海岸守護敵国降伏の
ため御自ら八幡宮相殿に御鎮座相成りしと傳へられている。
福岡市
現代語訳
『筑前国風土記』によれば、村の東にある浜崎の民家と向かい合うようにして、西向きに「四所大明神(ししょだいみょうじん)」の社が鎮座しています。この場所は、かつて異国の船が頻繁に集まっていた場所であったため、その守り神(鎮守)として神様をお招きし、祀ったのではないかと考えられています。
また一説には、神功皇后が三韓征伐から凱旋された際、海岸の守護と敵を退けることを願い、皇后ご自身が八幡宮の相殿(あいどの:同じ社殿に複数の神を祀ること)に鎮座されたのが始まりであるとも伝えられています。
メモ② 現在は「福岡市西区」、かつては「糸島郡」
こちらのサイトで、福岡県神社誌や糸島郡誌では住所が「糸島郡」だったことが記載されていました。
メモ③ 糸島郡誌に「登志神社」との関連?
こちらのサイトで、四社神社と登志神社が古来から同じ例祭を行っていたという記述がありました。
福岡市西区今津 四所神社の場所
〒819-0165 福岡県福岡市西区今津
なぜ右三つ巴を追っているのか? これまでの足跡はこちら
メモ代わりに残している「調査ノート」の記事ですが、もしも「右三つ巴紋とは何?」と興味をお持ちいただけたなら、以下の記事も併せてご覧ください。
右三つ巴紋と左三つ巴紋は何が違う?↓

右三つ巴紋の記事まとめ↓






