宇佐神宮や多くの八幡神社と違う向きの三つ巴紋「右三つ巴紋」を国東半島の北端で見つけて以来、なぜ向きが違う三つ巴紋があるのかと調べています。

歴史の専門家に尋ねても「さぁ、考えたこともありませんね」との回答でしたが、自力で調べていくうちに、やはり意味があるのでは?と思いを強くしています。

右三つ巴紋の神社を沢山調べたり、分布図でも作ればもっと色々なことが分かるんじゃないかと調べ続けているのですが、すぐに全てに出向くのはなかなか難しい状態です。
すぐに行けなくても「いつか見に行きたい気になる神社」として、調べたことをメモ代わりに記事化しています。
福岡県福岡市西区横浜 熊野神社のGoogleMapの画像で右三つ巴紋を確認
以前、右三つ巴紋がある神社を探した時、福岡市以西でよく見つかる気がしていました。
そこでGoogleMapで、このサイトで追っているキーワードの一つ「熊野」のつく熊野神社を探してみると、右三つ巴紋を確認できました。
メモ①:熊野神社の由緒書き
熊野神社
祭神 伊弉冊命 速玉男命 事解男命
由緒
一、享保十二年 (一七二八年) 拝殿改築の時、国主黒田継高公がその用材一切を寄進した。
一、神功皇后が三韓から帰朝の後、紀州熊野から、勧請されたとの言い伝えがある。
今山を昔は、 夷魔山と書いたが、それは昔、彦火々出見命が、この山上から弓で夷魔を射平げられたからだ
という……………………………………
また別名を弓張山とも言った。その吉例により毎年九月十二日(旧暦)の大祭には、山内の杉や檜木で弓を作り神前に備えていた。
祭儀
例祭 十月
祈年祭 三月 十二日
感謝祭 十二月十二日
月次祭 毎月十二日
横浜自治会 氏子
「紀州熊野」「弓」と、このサイトで追っている謎のキーワードにもつながります。

メモ② 今山遺跡
今山は糸島平野の東の端に位置し、玄武岩からできた標高82mの山です。大正13年(1924)に中山平次郎博士によって、玄武岩を使って石斧の製作を行った山として紹介されて以来、多くの調査や研究が行われた有名な遺跡です。製作された石斧は主に太型蛤刃石斧と呼ばれる大型の磨製石斧で打撃力にすぐれています。今山では玄武岩を割り、打ち欠いて全体の形を整える作業を行い、磨きあげて完成させるのはそれぞれの「むら」で行ったようです。
「今山で製作された石斧は、弥生時代前期後半から中期(今から約2000~1900年前頃)に、現在の福岡県・大分県・佐賀県・熊本県にかけての北部九州一円に行き渡り、今山を中心とする地域(後の「伊都国」に含まれる)の専業集団が他の地域に特産品として供給したと考えられます。
熊野神社がある場所=今山遺跡のようです。
大変古い時代から、人がいて、何かを行っていた場所。
そこの標柱に刻まれている紋が右三つ巴紋。大変気になる神社です。

メモ③ 熊野神社近くに薬師堂
熊野神社近くには薬師堂(今山薬師堂)があります。
こちらも当メディアで追っている謎のキーワードと一致します。

福岡県福岡市西区横浜 熊野神社の場所
〒819-0166 福岡県福岡市西区横浜2丁目39
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