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求菩提山の「鬼の石段」と熊野磨崖仏の「鬼が築いた石段」の伝承のつながり

求菩提山 鬼の石段
求菩提山 鬼の石段

生まれて初めての低山登山体験は、豊前市のシンボルと言われる求菩提山だった。

その山では「鬼の石段」という約850段の石段があった。

 

深い山奥に、いったい誰がどうやって積んだのかと思う石段は、以下のような伝承が残っている。

 

「その昔犬ヶ岳に棲む鬼たちの乱暴狼藉に困った村人が、求菩提の権現様に鬼を退治してくれるよう頼んだといいます。権現様は鬼たちに求菩提の山頂まで一晩で石段を築くよう命じ、出来れば今までどおり、出来なければ山を出てゆくように迫ったといいます。その時に鬼が築いたのがこの石段で、一説に八五〇段とも言われますが、さてさて真偽の程は・・・・・。」

 

面白い伝承だと思っていたら、別のエリアにも同じような石段があった。

国内最大級の磨崖仏である、豊後高田市の「熊野磨崖仏」に。

 

 

豊後高田市 熊野磨崖仏
豊後高田市 熊野磨崖仏
豊後高田市 熊野磨崖仏 鬼が積んだ石段
豊後高田市 熊野磨崖仏 鬼が積んだ石段

「熊野磨崖仏に続く自然石を乱積みにした石段には鬼が積んだという伝承が残されている。 かつて集落対面の岩峰に見える洞穴に棲んでいたとされる鬼は村人たちを食らう悪い鬼であった。ある日、熊野権現は鬼の過ちを改めるため、熊野社に参拝するための石段を一夜で100段積み上げることができれば、今までの鬼の悪さを許すという約束をしたのである。しかし、鬼はその腕力でいとも簡単に石段を積み重ねていくので、驚いた熊野権現は鶏に体を変化させて、コケコッコーと鳴いたそうである。鬼は慌てて逃げ出し、杵築市山香の立石で力尽きたと言われている。(日本遺産 鬼が仏になった里「くにさき」から引用)」

 

なぜ違う場所で同じような伝承が残っているのだろうか。

熊野磨崖仏だけでなく、さらに遠く離れた秋田県男鹿市の「赤神神社」でも、同じような鬼が一夜で石段を積んだ伝承が残っている。

 

「五社堂への石段には地元では有名な言い伝えがあります。

およそ2000年の昔、漢の武帝が5匹のコウモリを連れて男鹿にやってきました。コウモリは5匹の鬼に変わった。武帝は5匹の鬼たちを家来として使ったが、1年に一度正月を休みにさせました。鬼たちは大喜びして里へ降り、作物や家畜を奪って大暴れし、ついには里の娘までさらっていくようになりました。困った村人たちは、一夜で千段の石段を築くことができれば1年に1人ずつ娘を差しだすが、もしできない時には二度と里に降りてこない、という賭けをしました。鬼たちは精魂を尽くして積み上げあと一段!正に完成寸前、というところで「コケコッコー」と一番鶏の鳴き声。鬼たちはあきらめて、約束どおり山奥へと立ち去ったといわれています。(男鹿なびより引用)」

 

もしかしたら、他の場所にも伝承が残っているかもしれない。

 

古代史に詳しい知人によると、古代、日本国内の氏族たちは、戦うため、あるいは安住の地を求めて、移動していたらしい。

 

同じルーツを持つ氏族が、各地で伝承を残したとは考えられないだろうか。

しかし答えは、歴史の教科書には載っていない。

 

 

この問いの答えは得られていなくても、やはり興味は尽きない。

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