「豊のくにあと」で史跡や神社を巡り、記事を書き続けてきました。
はじめは、ただ気になった場所を記録するつもりでした。
ところが、点のように集めていた情報が、いつのまにか線になり、いくつかの線が重なり始めたことで、避けて通れない問いが浮かび上がってきました。

それが、
「消された神の痕跡とは何だったのか」
という問いです。
この文章は、これまでのフィールドワークと考察を振り返りながら、
2025年時点で私が見ている景色を整理するための「総括」として書いています。
消されたのは、神そのものではなく「役割」だったのではないか
右三つ巴紋、菊の意匠、海と結びつく信仰、金毘羅宮、エビス様。
そして、明らかに削られたり、伏せられたりした痕跡。




それらを追っていく中で感じたのは、
神そのものが消されたというより、神の機能や意味が編集されてきたのではないか
という違和感でした。
ある時代には、荒ぶる力として恐れられ、別の時代には、守護神や福神として再解釈される。
同じ存在であっても、時代や情勢に応じて「扱いやすい役割」が与えられていった。
そう考えると、多くの事象が無理なくつながっていきます。
名前と性別を持つ神は、後から編成された存在かもしれない
後の時代になってから、それらの力は整理され、役割が与えられ、名前と性別を持つ「神」へと編成されていった。
さらに踏み込めば、その名前には、古代の王や女王、巫女の名が重ねられた可能性も否定できません。
神話と歴史の境界が曖昧なのは、記憶が物語に、物語が信仰に変わっていったからではないでしょうか。
もっと古い層にあるもの
こうした編集の痕跡を糸のように辿っていくと、行き着く先は、男神や女神という枠すら超えた場所にあるように感じます。
火や水。
生成と鎮め。
破壊と再生。
性別を持たない、しかし圧倒的な力を持つ、根源的な存在。
神とは、その力を理解し、扱うために生まれた「名前」だったのかもしれません。
菊理媛と豊玉姫がつながる理由
白山神社の御祭神である菊理媛と、海と深く結びつく豊玉姫。
一見すると別系統に見える女神たちが、同じ線の上に現れる理由も、こうした視点に立つと自然に見えてきます。

元は同じ力。
異なる場所、異なる役割、異なる名前で呼ばれただけ。
そう考えると、これまで別々に見えていた謎が、ひとつの流れとして理解できるようにも思えます。
断定しないという選択
もちろん、これは定説ではありません。
史料の少なさ、後世の編集、地域差。
確かなことばかりではないからこそ、私は断定しないまま、記録を残すことを選びました。
形として残るもの。
消された痕跡。
向きや配置といった、言葉以前の情報。
それらを拾い集めることで、「別の見方ができるかもしれない」という余地を残したいのです。
宮司さんの言葉
元は同じ存在を祀っているのなら、名前が違っても問題はない――そう考えることもできるでしょう。
しかし、ある神社の宮司さんから聞いた話は、その前提に小さな揺らぎを与えてくれました。
本来の御祭神は「玉依姫」だったものが、江戸時代あるいは明治期に、外からの力によって「宗像三女神」へと書き換えられた時代があったというのです。
近年、御祭神の名を元の「玉依姫」に戻したところ、不思議なことに神社が次第に活気づいていった――「神様だって、違う名前で呼ばれたらいやでしょう?」という宮司さんの言葉が印象に残りました。
もしそうだとすれば、神の名を書き残すこと、そして書き換えられた可能性を記録すること自体が、土地の記憶を守る行為なのかもしれません。





