かつて中津の中心に祀られていた今津恵比須神社のエビスさま

今津恵比須神社
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豊前市に移住してから、何度も訪れていた中津城。

市街地側にあっても、川と海が近く、カメラを持っての散策や、ただの息抜きにもちょうどよい場所だった。

史跡を巡るうちに「なぜここにこんなものがあるのだろう」と、謎を調べるようになった。

そのうちに、明治時代に神社の名前が変えられたり、御祭神が変わることが頻発していたことを知る。

当時の制度にそぐわないとして、変更が施されたという。

調べてみたら、現在の中津城内の神社である大神宮が創建されたのも明治時代からだった。

中津城内の神社としては、大神宮が新しい。

黒田氏に謀殺された宇都宮鎮房とその家臣たちを祀る「城井神社」と「扇城神社」の創建は宝永二年(1705年)。

中津大神宮が明治時代に創建される前にも、中津城は存在していた。

なぜ中津大神宮が明治時代に伊勢神宮から勧請されて創建される必要があったのか、不思議だった。

今津恵比須神社
今津恵比須神社

疑問の答えはこれといって得られないまま時間が過ぎるうち、同じ中津市内の今津恵比須神社の由緒が目にとまった。

今津恵比須神社

今津恵比須神社御由緒
海浜を去る数十丁の海面に御神光あり 毎夜其の処を 去らず 某漁夫網を投じて霊石を得て帰る
其の夜 初代神主秋満土佐守藤原外記と某漁夫に霊夢 ありて恵比須神なることを知り元亀三年(一五七二年) 上町祇園社の地に社殿を造立すると縁起にある
文政二年三月(一八一九年) 社殿が火災に遭い 神主 秋満土佐守藤原氏房が御神霊を抱いて逃れる
火災から逃れた氏房が御神霊を抱き波打ち際に茫然自失して立っていた地に社殿を建てて祀る
其の地は明治末期ごろ 九月大潮の時潮につかり 着物の裾をまくって歩いたこともあったと云われ神殿は石垣をめぐらし高く築き立ててある
文化七年(一八〇四年)神幸式の始まりで大名行列もあったが廃絶に帰した
古来 十二月九日十日に神幸式が行われていたが年によっては猛降雪を踏み散らして渡御していたと云われ現在の十月に改め執行されている
神幸式の途次元宮と称して上町祇園社に神輿が立ち寄り コバネ(魚名)神酒を奉る古例を残す
平成二十一年(二〇〇九年)十二月吉日
特別奉賛者御芳名
壱全五拾萬圓 北村 芳太郎
壱金五拾萬圓 黒瀬 司
壱金五拾萬圓 川合 大作
壱金五拾萬圓 北村 冨一
壱金五拾萬圓 栗林 信行

現代語訳
海岸から数キロ離れた海面に、毎夜消えることのない不思議な光がありました。ある漁師がその場所で網を投げたところ、霊石を得て持ち帰りました。 その夜、初代神主の秋満土佐守藤原外記と漁師の夢に恵比須神が現れたことで、その正体がわかり、元亀三年(1572年)に上町祇園社の地に社殿を建てたと縁起に記されています。

文政二年(1819年)三月、社殿が火災に遭い、神主の秋満土佐守藤原氏房は御神霊を抱いて逃れました。 火災から逃れた氏房が、御神霊を抱いたまま波打ち際で茫然自失として立っていた場所に、社殿を建てて祀りました。 その場所は明治末期ごろまで、九月の大潮の時期には潮に浸かり、着物の裾をまくって歩くこともあったと言い伝えられており、そのため神殿は石垣を巡らせて高く築かれています。

文化七年から神幸式が始まり、大名行列も行われていましたが、後に廃絶しました。 古くは十二月九日・十日に神幸式が行われていましたが、年によっては激しい雪の中を道を踏み散らして渡御したと言われ、現在は十月に改めて執行されています。 神幸式の途中で「元宮」と称して上町祇園社に神輿が立ち寄り、コバネ(魚の名)とお神酒を捧げる古くからの慣わしが残っています。

この由緒書きによると、元々のこの神社は、上町祇園社の地に社殿が建てられていたそうだ。

上町というからには城下町のことだと考えられるが、具体的にはどこだったのだろう。

「上祇園」の名前なら、中津城外の中津城で行われる「上祇園祭」に残っている。

明治16年(1883年)3月31日に、新魚町の六所宮(素盞嗚命)、片端町の義氏社、御小屋(後藤又兵衛の屋敷跡)の稲荷社、諸町の蛭子社、萱津町の大江八幡神社(応神天皇・仁徳天皇・菟道稚郎子命)の御分霊を合祀し、中津城址の下段(松の御殿跡)に創建されました。

 合祀記録によれば、祭祀は素盞嗚命、応神天皇、仁徳天皇、他十三柱となっています。

 大正7年(1918年)4月無格社より村社に昇格、昭和3年(1928年)11月17日村社より郷社に昇格しました。
現在の上祇園祭は中津神社に祭祀している全ての神の祭としての夏季大祭ですが、六所宮(新魚町)から素盞嗚命も合祀されているため、祭の本質は疫病退散を祈願する祇園祭であり、合祀と同時期に大江八幡神社(萱津町)から寄進された7台の祇園車と中津神社の御神輿が巡行しています。 

 なお、大江八幡神社における祇園社の祭礼は、明和5年(1768年)ごろに上六町が祇園囃子を奉納したのが始まりとされています。

中津祇園ウェブサイトから引用

中津祇園ウェブサイトによると、上町の祇園社の情報はない。

ネットで調べても、中津の上町の情報は見つけられなかった。

今津恵比須神社の由緒に残る「上町祇園社」、明治時代に創建された中津大神宮。

そして上町祇園社の初代宮司の姓が「藤原氏」であること。

いずれもこれまで追ってきた謎とつながっていた。

そしてまた、上町祇園社の初代宮司の名前を検索すると、中津市に残る豊前神楽「植野神楽」は、「土佐守藤原外記が若籏神社の社家秋満家に伝えた伊勢神楽を源流とした神楽」であるという情報が見つかった。

今津恵比須神社の右三つ巴紋

そして宇佐神宮と逆向きの三つ巴紋。(宇佐神宮が公式に「左三つ巴紋」としているので、こちらは「右三つ巴紋」とする)

このエリアをもう少し歩いてみようと思う。

目次

今津恵比須神社の場所

〒879-0101 大分県中津市

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この記事を書いた人

2021年に豊前市へ移住。フォトライターとして、主に福岡県の豊前市・上毛町・吉富町・築上町・みやこ町・行橋市・苅田町、および大分県の中津市・宇佐市・豊後高田市・国東市といった旧・豊の国エリアを活動範囲としています。
カメラを持ってフラッと6時間のカメラ旅に出かけ、このエリアの史跡、神楽、祭りなどを記録し、「日常を離れた歴史の世界」の魅力を発信するほか、古民家図書館を運営。

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