今振り返れば、それは「すべてがつながっていた」と思わざるを得ない、不思議で長い旅の始まりでした。
このウェブサイトで綴ってきた数々のキーワード——右三つ巴紋、瀬織津姫、牛頭天王、貴船神社、八坂神社、そして山の中に残る海の記憶。
それらが今、一本の細い線でつながったように感じています。
もちろん、私は歴史の専門家ではありません。
導き出した答えが、学術的な事実であるかどうかを判断する立場にはありません。
それでも、自分の足で現地に立ち、肌で感じた違和感や、自分の目で捉えた光景について語ることはできます。
これまでこのサイトに記してきた足跡は、言わばバラバラの「点」でした。
しかし、謎の正体を誰かに届けようとするならば、点と点をつなぐ「線」が必要です。
この連載では、これまでの歩みを振り返り、私が辿った謎解きのルートを物語として形にしていきたいと思います。
- 【豊のくにあと歴史の謎:連載1】宗像大社から始まった不思議な旅。無関係と思っていた「点」をつなぐ道の起点
- 【豊のくにあと歴史の謎:連載2】移住した旧豊前エリアで浮かび上がるいくつもの謎。つながるようで、つながらない右三つ巴紋がやはり鍵か
- 【豊のくにあと歴史の謎:連載3】読者からの情報提供で得た「牛頭天王」の謎を追うと天照大神の荒魂・水の女神「瀬織津姫」に行き着いた
- 【豊のくにあと歴史の謎:連載4】勝者に消された歴史がある?_出雲王国の口頭伝承が伝えられた本、実際に消された跡を見て
- 【豊のくにあと歴史の謎:連載5】右三つ巴紋を頼りに「消された」「変えられた」跡を拾い集めていくと新たな謎につながっていく
(連載中)
原体験。幼少期に過ごした近畿地方で見た異世界の景色
私は小学生まで大阪で育ちました。
京都の親戚宅で祇園祭の熱気に包まれたり、遠足や合宿で奈良や兵庫の古都を訪れたり。
なかでも深く記憶に刻まれているのは、親戚に連れられて訪れた和歌山県の高野山です。
大阪の都市部で暮らしていた子供にとって、天を突く巨木、苔むした石段、どこまでも並ぶ石灯籠が織りなす光景は、まさに「異世界」そのものでした。
「怖いけれど、目が離せないほどすごい」
その時に受けた衝撃は、大人になっても感覚の奥底に残り続けました。
慌ただしい暮らしに疲れ癒やしを求めるように宗像大社へ
その後、広島での生活を経て、進学を機に海を越え、福岡県北九州市へと移り住みました。
人生の大半を過ごしたこの場所で、結婚し、子供を育て、個人で仕事を始める。
そんな慌ただしい日々の中で、神社やお寺は、初詣や家族の行事で行く程度の「あまり馴染みのない場所」になっていました。
転機は、ふとした思いつきで「宗像大社」を訪れたことでした。
北九州から福岡市へ向かう際、看板で見かけるだけの「通り過ぎる町」だった宗像。
けれど、広島時代の友人が「車を買ったら必ず宗像大社へ行く」と話していた言葉が、なぜか脳裏に残っていたのです。


初めて足を踏み入れた境内は、都市部とは切り離された、広々とした緑あふれる空間でした。
「ああ、こんなに心地よい場所があったんだ」
それを境に、私は折に触れて宗像大社へ通うようになりました。

その縁は広がり、大島にある「宗像大社 中津宮」へも足を運ぶように。
気づけば、休日を過ごしたい場所は、ビルに囲まれた街中から、豊かな自然の残る郊外へと変わっていきました。
カメラを手に、神社仏閣を巡る日々
少しずつ元気を取り戻した私は、カメラを携えて神社仏閣を巡るようになりました。
カメラは自分にとって、Webデザインの仕事道具であり、好きで始めたものではありませんでした。
「仕事のために上達しなければ」という義務感。
けれど、どうせ撮るのなら、自分が興味を惹かれた場所を被写体にしたい。
そうしてレンズを向けたのは、かつて高野山で見たような「異世界の光景」でした。
宗像の鎮国寺、英彦山神宮。
ファインダー越しに見つめる異世界の景色を眺めていると、癒やされるような気持ちになりました。




子供の希望で豊前市の初登山・求菩提山
2019年末。コロナ禍によって世界が静まり返るなか、子供が不意に「求菩提山(くぼてざん)に登ってみたい」と言い出しました。
登山経験もなく、土地勘もない親子を支えてくれたのは、豊前市の史跡ガイドボランティアの方々でした。
初めて挑んだ山の中は、衝撃の連続でした。
巨大な鳥居、岩窟に佇む石仏、自然石が積み上げられた約850段の「鬼の石段」。それはまさに、幼い頃に見た異世界そのものでした。



この体験がきっかけとなり、北九州の権現山や皿倉山といった低山にも登るようになります。




「自分が知らなかっただけで、自然や歴史はすぐそばに息づいていた」 その事実に気づきました。

歴史といっても、詳しくはよく分からないことが多かったのですが、この時は今ほど気にしてはいませんでした。
空海ゆかりの「筑前一の霊場」のあと皿倉山祈願塔、権現山奥宮コースのスタート地点の市瀬鷹見神社の御祭神が木の国熊野からの勧請であること。
ですが確かな違和感となって、残り続けていたのです。
無意識に集めていた違和感の「点」
北九州を拠点に、国東半島や臼杵、さらには佐賀や長崎へ。
子供が人の少ない自然の中を好んだこともあり、私たちの旅路はさらに広がっていきました。



そこで出会う景色の中に、私は無意識に「違和感の点」を拾い集めていました。

たとえば、国宝・臼杵磨崖仏。
これほど見事な石仏が、誰によって、なぜ造られたのか、今なお謎に包まれているという事実。この謎が、旅の終着点で一本の線につながるとは、当時の私は知る由もありませんでした。
2021年春、豊前市に移住
当時、福岡県内の居住地を探していたところ、豊前市も我が家の条件に一致しました。
求菩提山に登った子供が「豊前市がいい」と言うので豊前市に移住することがで決まりました。
移住した豊前市やそれに周辺の市町村は、歴史や文化が色濃く残り、このエリアに伝わる豊前神楽や史跡を撮りに多くの場所に出向きました。


そして史跡を巡っているうちに、また意図せず小さな違和感を拾い集めていくことになりました。
それらの違和感は後述する「右三つ巴紋」でつながりを見せることになります。
2023年ごろ 国東半島の北端の神社の画像で「右三つ巴紋」を初めて認識
豊前市以外にも土地勘ができていた頃、偶然目にしたある神社の紋が、それまでとその後の小さな違和感をつなぐ鍵となりました。
GoogleMapで見つけたその神社の紋の形はいわゆる三つ巴紋でしたが、よく見ると宇佐神宮や多くの八幡神社で使われている巴紋とは違う向きだったのです。


宇佐神宮やその他多くの八幡神社は「左三つ巴紋」で、私がGoogleMapで見つけた巴紋は「右三つ巴紋」だったのです。
右三つ巴紋を見つけた伊美崎社の鳥居は「伊美崎社 菊理媛命」と刻まれていました。
宇佐神宮の御祭神は「八幡大神(応神天皇)、比売大神(多岐津姫命・市杵嶋姫命・多紀理姫命)、神功皇后(息長帯姫命)」の三柱です。
菊理媛命は、北陸を中心に数多く祀られる白山神社の御祭神です。
なぜ宇佐神宮と関わりが深い国東半島で、宇佐神宮と逆向きの巴紋と、宇佐神宮と異なる御祭神が祀られていることを示すのか。
私は歴史の専門家ではありませんが、かつてプログラマーをしていた経験から、この向きと御祭神の違いが大きな異常値に感じられたのでした。
この右三つ巴紋が、私にとって、それまで感じていた違和感の理由を知るための「最初のキーワード」となりました。
私はこのキーワードを手がかりに、宇佐神宮とは異なる信仰を持つ勢力、そしてそこから繋がる水の女神、瀬織津姫など多くが連なる謎を追うことになりました。
豊のくにあと歴史の謎:連載2につづく

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(連載中)
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