今後AIによる検索が浸透したら、SNSを直接見ることができないAI(そういう前提があるらしい)は、逆にSNSの結果を検索できるGoogleのような検索エンジンの結果を参考にすることはありそうだ。
SNSは多くの人が発信するようになったし、長年このWebの、特にコンテンツを中心に仕事してきた経験を活かすなら、やはりWebサイトかとコツコツ過去の情報もこのように記事にアップしている。
過去のGoogleフォトを見ながら、いつか誰かの役に立てばよいと思うトピックを綴っているのだが、日田の神社の看板に気になることが書いてあったのでメモ代わりに記しておく。
御案内 若宮町若竹会
椋の木と白鬚大明神
この椋の木は樹齢約三百年高さ二十五m幹回四、九mで、特に根元に様々な形をした樹瘤は大変珍しいものです。
白鬚大明神(猿田彦)は文政八年(一八二五年 仁孝天皇 徳川家康)小ケ瀬井堰の通水式典を記念して祭られたもので、隈町の人で後藤万大の書です。
この年日田・玖珠から竹田川原(現竹田公園)に集められた御料米を関まで運ぶ隈川通船が始まり、翌九年豆田の中城川通船が始まりました。
八衢大神、恵比須様共毎年期日にお祭りを致している有り難い神様です。
訪れた神社は、ものすごく数が多いわけではないが、それでも累計すると結構な数になってきた。
だから「珍しい」という違和感には気がつくようになった。
この看板で気になったことは「白鬚大明神=猿田彦大神」であることと「八衢大神」と聞き慣れない御祭神の名前だった。
豊前市に移住して、白髭大明神の名前を見たことはほとんど無かったような…
瀬織津姫と貴船神(高龗神・闇龗神)のように呼び名が違っても、同じ存在を示すということは、よくあることなのだろうか。
この看板があったのは日田市、竹田若宮神社。
神社のすぐ近くに三隈川が流れていた。
川、巨石、ほらあな
古代の人たちは自然に神が宿ると考えていたようで、今でも祭祀のあとが残る場所も多い。
ここも川があるということは、何か重要な場所だったのだろうか。
日田市は、「卑弥呼の鏡」とも言われている中国・魏の「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡」が市内のダンワラ古墳から出土したと伝わっている。(復元レプリカは天領日田資料館に、実物は東京国立博物館に所蔵されているそうだ)
似た鏡が近年、曹操の墓から出土され、日田市から出土されたという鏡との類似性が話題になった。
やはり卑弥呼はいたのか、そして邪馬台国の場所とは。
これだけ科学が発達しているから、いつかそれも分かる日が来るのかもしれないと淡い期待を持つ。
八衢神とは?
聞き慣れない「八衢」とは「やちまた」と読むようだ。
ネットで調べてみると、青森や秋田のように東北の情報がよく見つかった。
北部九州では猿田彦大神と呼ばれる神が、別の名前で呼ばれているようだった。
石上神社石段の左手の平場にある八衢神碑は、津軽地方でも珍しい碑で、万延元年(1860年)に建てられた。八衢神とは、日本神話に登場する猿田彦神のことで、天孫が高天原から日向国(現在の宮崎県)に降臨した時に、天の八衢(道の迷いやすい所、沢山の分岐点)にたって道案内したという故事による。この碑は、庚申塔、幸神塔、猿田彦大神碑と同じように、津軽地方で盛んであった庚申信仰により建てられたものである。
鰺ヶ沢町役場ホームページから引用
ダンワラ古墳の場所
〒877-0035 大分県日田市日高755−1
アクセス
竹田若宮神社
〒877-0037 大分県日田市若宮町3