【大分県宇佐市】宇佐神宮末社「護皇神社」2023年1月 撮影記録

宇佐神宮摂社「護皇神社」2023年1月
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撮りためたGoogleフォトを眺めて、まだ記事化していなかった写真をアップしています。

2023年1月に訪れていたのは、宇佐神宮東側にある大尾山(おおおやま)に鎮座する護皇神社です。

目次

宇佐神宮末社「護皇神社」2023年1月 撮影記録

2021年春に豊前市に移住してから、宇佐神宮によく訪れるようになりました。

宇佐神宮の川

川に囲まれ、森が広がる自然が多い宇佐神宮。

冬には渡り鳥がたくさん訪れるようでした。

宇佐神宮摂社「護皇神社」2023年1月

写真を見ると、行動が見てとれます。

この日はメインの参道から東に向かっていました。

宇佐神宮摂社「護皇神社」2023年1月

突き当りの鳥居をくぐるとしばらく階段が続きます。

階段突き当りには「和気公之碑」。

宇佐神宮摂社「護皇神社」2023年1月

ここよりも上側の大尾神社と同じような外観です。

宇佐神宮摂社「護皇神社」2023年1月

猪のような石がありました。

宇佐神宮側に戻る時の写真。

とても大きな石灯籠があるんですよ。

護皇神社とは

宇佐神宮の末社である護皇神社は、奈良時代の廷臣・和気清麻呂(わけのきよまろ)を祀っています。

769年、僧の道鏡が皇位を奪おうとした際、清麻呂は勅使として宇佐へ派遣されました。

彼は大尾山にて八幡大神より「皇嗣には必ず皇族を立てよ」との神託を受け、命懸けで道鏡の野望を阻止しました。

この事件により清麻呂は足の腱を切られ、大隅国(鹿児島県)へ流されますが、道中で猪の大群に守られたり、宇佐参拝後に傷ついた足が完治したりといった数々の奇跡が起きたと伝えられています。

復職後は平安京遷都の責任者として尽力しました。

神社は江戸時代末期に菱形池に創建され、昭和の大造営の際に現在地へ移されました。

現在は、厄除けや「足の怪我を癒やす神様」として広く親しまれています。

護皇神社の場所

〒872-0102 大分県宇佐市南宇佐

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この記事を書いた人

ぶぜんノートのアバター ぶぜんノート フォトライター

豊のくにあと運営者。
福岡県の東の端っこで、写真と文章を綴る人。

2021年に移住。フォトライターとして取材を重ねる傍ら、ひとりでこのメディアを立ち上げ、ZINEの制作・販売まで行っています。
拠点は、古民家を借りて開いた小さな図書館。
Webも、リアルな場所も。どちらも自分の「媒体」として、このエリアの魅力を発信し続けています。

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